『願い事』

 大学を出発し、数時間が経った。現在バスは高速道路の休憩所で停まっている。まだ目的地に到着もしていないのにこんな場所で土産物を物色している生徒の姿がちらほらと見える。どうやらこの地域限定のキーホルダーがあるらしい。九条もその彼女らに釣られてそれらを眺めた。ディズニーの「スティッチ」というキャラクターのキーホルダーのようだ。値段は420円。まぁ、これくらいならお店に来てくれる常連の子供客にあげるのもいいだろう。周りにいた女生徒の視線が多少気にはなったが、会計を済ませた。
 そして一行を乗せたバスは再び走り出した。ガイドの話によると、昼には京都に到着するらしい。京都は結構遠いというイメージがあったが意外と近いのだなと感じた。新幹線で向かうと僅か30分で到着してしまうらしい。名古屋から京都までの切符は5000円ほどと高額だが、昔の人が何日もかけて歩いた道のりをそれだけの時間で済ませるということを考えると値段に見合っているように思える。その距離を僅か30分で行くと、日本も案外狭いのだなと感じさせる。
 窓の外を見ていると次第に観光客と思われる人だかりが多く見えてきた。
「ほら、見て。古都の町並みだよ。こういうの見ると感動しない?」
「しません」
 窓際ではしゃぐ涼子に九条は冷静に対応していた。「そんなことより長い間座ってたせいで腰が痛いです」
「あ〜・・・本当に京都だ。早く散策したいね」
「いえ、さほど」
 そんなやりとりを暫くしていると、バスは宿泊先に到着した。九条たちは荷物を手に取り、それぞれの部屋に向かう。そしてすぐに教師の話が始まった。どこの学校でも同じであるように、この学校の教師も例に洩れることなく話が長い。聞いている生徒は「自由時間はまだか」とばかりにそわそわしている。
「それではこれより自由時間とします」
 と、いう教師のセリフを火蓋に、全生徒は一斉に楽しい空間が待つ京都の町へと飛び出していった。
「オレは涼子さんの連絡待ちか・・・」
 九条はホールのイスに腰をおろした。なかなかに上等なイスのようで、フカフカ感が堪らない。九条は携帯電話を取り出した。散策時間になったら落ち合う場所を携帯で伝えると涼子は言っていた。しかし、生徒たちが飛び出していった後も連絡はきていない。
「まさか忘れてるんじゃないだろうな」
 九条が怪しんでいると、電話がかかってきた。「はぁ、やっとか」
「もしもし」
 電話に出ると、それは確かに涼子であった。「今、どこ?」
「ホテルのホールです。涼子さんはどこですか?」
 しばらく、答えが返ってこなかった。九条は聞き取れなかったのかと思い「今どこですか?」と再び聞いた。
 再び長い沈黙の後、涼子は口を開いた。
「神社とか、興味ないんでしょ? 無理に付き合わなくてもいいよ」
 先ほどまで散々言っておいてどういう気持ちの変わりようだろうか。しかも、自由時間が始まってから30分も経過した後にそれである。全くヒドイ話だ。
「ええ、確かに興味ありませんね」
 電話の向こうから、小さな声で「やっぱり」と呟くのが聞こえた。何を今更・・・。「興味はありませんが、確かに約束しました。一緒に散策するという約束をね。だからちゃんと付き合いますよ。そんな小さなことより涼子さんのいる場所を教えてください。ただでさえ待ちくたびれてるんですから」
「え・・・」
「どこですか?」
「それじゃ・・・京都駅に」
「わかりました。散策の時間も限られてるんです。つまらないことで時間とらせないでください」
 九条は「それじゃ」と付け加えて通話を終了した。全く・・・あの人は何を考えているんだか。

 京都駅は大勢の人たちで賑わっていた。京都駅の構内はとても広く巨大なアトリウムが目を惹く。その空間には4千枚ものガラスが使用されているというから驚きだ。耳を澄ますと多種の言語が聞き取れる。中国語や英語など、色々な国の人がこの町へ観光に訪れているのだろう。それだけ世界になだたる名所なのだ。隆志は新鮮な眼差しで眺めた。
「隆志、何してるんだ? 早くこいよ」
「ああ」
 友人に急かされ歩みを再会するも、目は周りに奪われたままである。「京の和菓子」を販売している店では、どうやら教養が求められるのだろうか。外国のお客に対し、英語を流暢に話して対応している。
「オレじゃ無理だな。聞き取ることもできないや」
 隆志は苦笑した。「ん、あれは・・・」
 隆志は遠目である人物を捕らえた。その人物は誰かと電話で会話しているようだった。どうやら今日は保護者と一緒ではないらしい。少ししてその人物こと涼子は電話が終了したのか、携帯をポケットに入れた。なにやら俯いている。何か電話で嫌なことを言われたのだろうか。
「おい、隆志」
「あ、ああ。悪い」
 隆志は友人の大声に呼びかけられ、友人の元に走った。
まぁ、オレが関わることじゃないだろうな。夜にでも保護者の瞬に伝えてやるか・・・。

「涼子さん」
 京都駅の構内に立っている涼子を見つけ、九条は声をかけた。先ほど電話で「京都駅」と聞いたが、これほど広いものだとは思ってもいなかった。一言京都駅と言ってもこの群衆の中、人一人を見つけるのは非常に困難だ。それにしても、この群集には目が眩む。
「すごい人ですね」
「そうだね」
 涼子は笑顔で答えた。「じゃ、まずは伏見稲荷行ってみようか」
 そういって涼子は駆け出した。九条は先ほどの電話のことを思い出した。全く、女性の考えていることは理解できない。最初は「付き合え」。電話で「別にいいよ」。そして今ではそんなこともコロっと忘れているかのように振舞っている。この急展開な振る舞いは、もしかしたらこれは女性共通ではなく、涼子に限定されるものなのかもしれない。しかし、そうだとしても女性の心理というものが自分に理解できるかどうかは疑問だ。
 九条は涼子に続いて走り出した。
 切符を購入し、JR西日本奈良線の電車に乗り込んだ。伏見稲荷大社は、京都駅から僅か5分ほどで到着するらしい。電車が動き始めた。京都といっても、ある場所を除けば普通の民家が並ぶ通りもある。こうして普段見慣れている町並みをみると、とても京都に来たという気がしない。
「ね、九条君知ってる? 京都駅には1番線がないんだって。0番線から2番線って一気に飛んでるんだよ。何でだろうね」
「理由はわかりません。それにしてもよくそんなの知ってますね」
「調べたからね。京都駅の七不思議なんだって」
「まだ6つもあるんですか?」
「うん、先代の京都駅は『京都駅』っていう看板が見当たらなかったんだって」
 大した知識だが、何かの役にたつということはなさそうだ。残りの不思議も気にはなったが、お目当ての稲荷駅へと到着した。
 九条たちは駅を抜け、目の前の伏見稲荷大社を眺めた。
「何か願掛けでもするんですか?」
「うん、せっかく来たんだしね。絶望的なことがあっても、頼めばもしかしたらどうにかなるかもしれないじゃない」
「涼子さんの運動音痴をですか?」
「ち、違うよ。私運動音痴じゃないもん」
 ま、そういうことにしておこう。
「それで、ここは何の御利益があるんですか?」
 九条は無知な自分はここがどんなところなのかも知らない。ここは素直に神社仏閣について詳しい涼子に聞くことにした。
「ここには宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)がてっぺんの神様でね、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神という四大神を祀ってるんだよ。それで稲荷神っていうのが農業の神様で五穀豊穰・商売繁盛・交通安全という御利益があります」
 さすがと言うべきなのだろうか。カンニングペーパーなしでスラスラと説明していく涼子は、無い胸を張り、自慢げにしている。九条は思わず拍手をしていた。
 確かに、涼子の運動音痴はすさまじいものがあり、事故に発展してしまうかもしれない。涼子が何を願かけするのか知らないが、自分だけでも交通安全であるよに頼んでみよう・・・。
 少し歩くと、大きな、本当に大きな鳥居が現れた。ここでも涼子が自慢げに説明していたが、ここ伏見稲荷大社では「千本鳥居」といわれ、多数の鳥居が連なっているのだという。鳥居の後ろ側を見てわかったが、スポンサーのようなものがあるらしい。関西テレビと大きく書かれているものもあった。その他にも、多数の会社名そして一般の人の名前も書かれていた。もしかしたら九条がその人を知らないだけで実際は結構な人だったのかもしれないが、ここのシステムは理解できた。鳥居の中には壊れてしまっているものもあり、それを補充するために誰かがお金を払い鳥居をつくる。その際に名前と建たれた年数が記入されるらしい。建っている鳥居の中には「明治44年6月」と書かれたとても古いものまである。最近の鳥居は木で作られているがこういった古いものだけは石で作られていた。だがそれが逆に趣を感じさせた。
「涼子さん、大丈夫ですか?」
 九条が後ろを見ると、涼子は息を切らしながら休んでいた。こうして登ってみてわかったが、この伏見稲荷大社は山の中を利用してつくられている。よって全部を廻るとなるとかなりハードな登山となる。
「少し休みますか?」
 涼子の荷物は持っていってあげているが、涼子の体力ではきついかもしれない。「今から下ってもいいですけど」
「駄目」
 涼子は立ち上って言った。「せっかくここまで登ったんだし」
 それだけ言うと「やー」と九条の前を駆け抜けていった。
「下山の体力のことも考えてるのか?」
 登ったのなら、降らなければならない。それならば行き以上の体力を消費することを考えにいれた上で進む。それが普通の登山のルールなのだろうが涼子はお構いなしに走っていった。九条はため息をついて後を追った。
「やれやれ、どうなることやら・・・。ま、予想はつくが」

 1時間と少しの時間が過ぎ、二人は頂上の社に辿り着いた。ここでは何故かたくさんの猫たちが我が物顔で昼寝をしている。猫と狐。確かに性格や行動は似ているし、何かここに惹かれるようなことがあるのだろうか。とりあえず、撫でさせてもらった。その猫は人に慣れているのかそれともバカにしているのか全く逃げる様子もなく、昼寝をしながら九条に撫でられている。
「うん、準備よし」
 体力を使いきり、休んで休憩していた涼子は近くの店で小さな鳥居を買ってやってきた。それは入り口に建っていた立派な鳥居とはほど遠いが、1000円と手軽だ。
「それに願い事書いたんですか?」
「うん」
 涼子はそっと鳥居を奥の方に立掛けてきた。「あ、見に行っちゃ駄目だよ」
「わかってますよ」
 確かに自分の願い事を他人に知られるのは恥ずかしいという気持ちはわかる。だが、そう言われると無性に見に行きたくなるのは人の性というものであろうか。
 九条も涼子に習って鳥居を買い、願い事を書いた。それにしても安っぽい鳥居だ。こんな小さな木の鳥居が1000円なら、さきほどまで並んでいた大きな鳥居は数百万単位になるのだろうか。一般人でも購入できないことはないだろうが・・・。
「九条君の願い事って何?」
「涼子さん自分のは見せてくれずにオレのは見るんですか?」
「いいじゃん」
 涼子はニッコリと笑って九条の書いた鳥居を見た。全く、大したジャイアリズムだ。「水無月涼子の運動音痴が治り、事故に遭いませんように・・・?」
「ええ。オレの当分の願いはそれです。そのままじゃ涼子さん本当に大きな事故を起こしかねないし、何より治してもらわないとオレの身がもちません」
 1000円で涼子のドジっぷりが治り、被害が無くなるのなら安いものだ。まぁ、願い事など本気にしている訳ではないし、半分本音、本文からかい文句といったところである。「運動音痴じゃない」という言葉を待っていたのだが、涼子の口からは小さく「ありがとう」という言葉が届いた。そうやって素直に礼を述べられるとこちらも対応に困る。涼子の起こす事故的なものには慣れているのだが、こういうイレギュラーは初めてだ。
「と、とにかく! これ置いてきますから」
 その雰囲気に耐えられず、九条は慌ててその場を飛び出していった。九条は少し奥まで入り、狐の石像の前に鳥居を立掛けた。
「お稲荷さん、とりあえずこの願い事を叶えてください。あ、涼子さんのためじゃなくて、本当に自分のためですよ?」
 石像に話しかけている姿は端から見ると妙に滑稽に映る。その姿に気付いて九条は慌てて冷静を保った。
「全く、オレは何をやってるんだ」
 涼子の元に戻ろうとしたとき、先ほど涼子が立掛けた鳥居が遠目に見えた。ここからでは遠くてとても願い事は読めそうもない。九条は一瞬躊躇した。「見に行っちゃ駄目」という涼子の言葉と、好奇心が九条の思考の中を駆け巡った。そして、どうやら好奇心の方が勝ったようだ。
「オレのも見られてるし、少しくらいいいだろう」
 幸い、この位置だと涼子に見られる心配はない。九条はゆっくりと近づいた。
 水無月涼子 私は―
 そこまで確認した瞬間、天地がひっくり返った。目の前には涼子が立っている。どうやら直前で彼女に突き飛ばされ残念なことに防がれてしまったらしい。
「戻ってくるのが遅くて様子を見に来たら・・・」
 涼子は俯き、手を震わせている。「・・・見たの?」
 声も震えている。九条は起き上がり、動揺した。まさかそこまで怒らせてしまうとは思っていなかったのだ。
「あ、その・・・」
「見たんだね?」
「もう少しで見れそうだったんだけど・・・ごめん。そんなに怒るとは思わなくて・・・」
 何を言っていいかわからず、九条も俯いてしまった。そんな九条を見て、涼子は彼の腕を掴み、そこから連れ出した。そこの鳥居から離れ、少し下山して涼子が九条の正面に立った。
「見てないんだね?」
「はい、本当に」
「それじゃ、許してあげる」
 涼子はそう言って九条に背中を向けた。全く、そんな見られたくない内容なのなら最初から書かないでほしい。それともよっぽど恥ずかしいことを書いたのだろうか。見て廻った願掛けの中には「世界征服」という子供じみたものもあった。要はそういった恥ずかしい内容を書いたのだろう。やはり年上でもこの人は子供だ。
「私が書いた内容・・・知りたい?」
 涼子は軽くこちらを向いた。口元には笑みが浮かんでいる。しかし、妙な違和感を感じる。確かに笑みを浮かべてはいるが、涼子自身は笑ってはいないような気がするのだ。
「確かに気になりますが・・・涼子さんがああまでいうのだったら諦めますよ」
「教えてあげるよ」
「え?」
 今、彼女は何と言った? 確かに、「教えてあげる」とこの耳は聞いた。散々ハラハラさせて最終的にそれはないだろう。
「来年も、セミナーは京都みたいだから・・・。来年だったら、私が書いた願掛け見に行ってもいいよ。今度はきっと止められないから」
 涼子は相変わらず、笑ってはいるが内面は哀しみで溢れているように見える。それにしても「止められない」とはどういうことなのだろうか。来年ならば涼子はまだ3年。当然このセミナーにも参加しているはずだ。止めようと思えば止められるはずだ。それがなぜ「止められない」なのだろうか。何か嫌な予感が脳裏を巡った。
「何かあったんですか?」
 心配になって九条は聞いた。この危惧がただの思い過ごしならばいいのだが・・・。
「何にもないよ」
 涼子はニッコリと笑った。「それより、私疲れちゃった」
 不意に涼子はキョトンとした顔を見せた。
「まぁ・・・涼子さんは登りで体力使い切ってましたからね。登山は下りの方が体力使うんですよ」
「もう歩けない。ね、下まで連れていって」
 一体この人は何を言っているのだろうか。さっきまでシリアスな話をしていたのに、突然話題を変えられ九条も動揺している。
「な、何を言ってるんですか。子供じゃあるまいし・・・。自分で降りてください」
「いつも私のこと子供子供言うくせに」
 涼子のそのあまりの自然さにうまく流されてしまった。まぁいい。こういった自分の予知的なものは当たるはずがないし、そうそう妙なことが起こることもないだろう。涼子がその話題を避けているのだとしたら、無理に話させることもない。来年確認するか、もしくは涼子が言うのを待つことにしよう。
 結局、下りきった時には夕方になっており、初日の散策時間は伏見稲荷大社だけで終了してしまった。

「ああ。楽しくやってるみたいだよ」
 ホテルの屋上。本来ならば立ち入り禁止であるが、その女性はそこで携帯を手にしていた。「ああ。心配するなよ」
「涼子は楽しんでる。九条と一緒にいることにね。だけどその分哀しんでもいる。このままじゃあいつ・・・時が来たときに耐えることができないかもしれない。」
 女性は続けた。
「九条、悪いやつじゃないよ。最近ずっと見てるけどね。ただ、このことを知ったらどう思うかな。一大学生が解決できる問題じゃないんだ。・・・わかってる。誰にも解決できない問題だってことはな。ああ、わかった」
 女性はそう言って携帯をきった。
 涼子も、そろそろ限界だろう。そして、そうなった時、アイツは私に気付く。
「さぁ、涼子に選ばれた九条瞬。お前は一体、どう動くのかな?」
 それまで月を覆い隠していた雲がゆっくりと動き始め、月の光を照らし始めた。月光が闇夜の空間を照らす。
「時間はもう、残っていないぞ」
 そこに立っていた涼子はそう呟き笑みを浮かべた。

『願い事』 完

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