『決戦前夜』


 秋の風が吹き抜ける中、2人の少女はスーパーの店内で買い物カゴを片手にうんうんと考え込んでいた。体育大会を前日に控えた彼女たちは、お弁当に入れていく料理のことで頭が一杯だ。それもただのお弁当ではない。自分や家族が食べるだけのものなら、簡単なもので済ましてしまう。しかし今回のお弁当はそれとは訳が違う。何しろ、憧れのあの人、『伏見蒼太』が見に来てくれるのだ。お弁当を持参し来ると伝えた以上、生半可な料理を持っていく訳にはいかない。あの人が笑顔でつまんでくれる愛情たっぷりのお弁当でなければならないのだ。
「・・・ね、ナナ。蒼太はんの好物って何やろ?」
 顎に手を運びながら、幸は隣で同じように悩んでいる七海に聞いた。しかし七海は幸の問いに首を横に振った。
「・・・敵に塩は贈らないよ。絶対にお兄ちゃんは渡さないもん」
 七海はそう言い返し、口を尖らせた。5日前、コンビニへ行って蒼太に会った瞬間から、2人はライバルとなってしまった。恋のライバルという三角関係・・・というと少し語弊があるかもしれない。何しろ、その中心にいる蒼太は彼女たちの気持ちに気付いておらず、勝手に組み込まれているに過ぎない。そしてそもそも、蒼太に七海たちも知らない良い人がいるかもしれないのだ。自分を想ってくれる異性が複数いてくれるのは少し羨ましい限りだが、蒼太の場合は少し気の毒に思えてしまう。何しろ、相手が七海と幸なのだから・・・。
「ナナってなかなかケチやな・・・。まぁええ、それくらい丁度ええハンデや」
 幸はそう肯いて目の前にある栗1パックを手に取った。「秋やから、栗ご飯もええな。それにごま塩加えて・・・」
 幸の方は少しずつお弁当の構想が完成しつつあるようだ。それに比べ、七海の方はまだ考え込んでいる。七海自身あまり料理をする性質でないので、イメージがしづらいのだろう。何しろ母親が料理大好きで、今まで自分がつくる機会など全くなかった。蒼太の前ではお弁当を持ってくると言ったが、実際料理のスキルはゼロに近い。その後すぐに料理を本を購入して勉強しているが、そんな付け焼刃で立派なお弁当ができるものなのかいささか不安である。
「・・・負けないもん」
 七海はそう呟き、料理本に書かれてあった事項を思い浮かべた。「確か・・・お弁当は肉、魚、野菜とバランスよく入れて・・・」と牛肉、白身魚、緑黄色野菜などをカゴに入れていく。そうやってテンポ良くカゴに入れていく七海を見て、幸も負けじと材料を詰め込んでいく。そして結果、3000円を超える金額となってしまった。お弁当1食分で3000円はあまりにも高級すぎる。普通のお弁当ならば500円以内に容易に抑えるものなのだが、それではもはや料亭の値段に近い。しかしそれでも彼女たちにとっては理想の料理を作るには足らないようだ。丁度タイミングよく現れた明日香が止めなければ、更に倍の値段になっていたかもしれない。


 七海は大きな荷物を持って、すぐに自宅へ直行した。そして台所に立っている母親に「明日のお弁当自分で作るから」と伝えると、母親は驚いて我が娘の顔を覗きこんだ。
「・・・本当に自分で作るの?」
「うん。明日お兄ちゃんも来てくれるから、愛妻弁当作るの」
「愛妻・・・ね。でもあなた料理なんてできる? 今まで作ったことないでしょ?」
「家庭科で少しは作ったよ」
 七海はそう言うが、中学の家庭科で作る料理なんてほとんど基本も良いところだ。せいぜい簡単な和食メニューといったところだろう。七海が自分で作れるモノなど、片手で数え切れるほどだ。
「・・・まぁ、あなたが自分で作るっていうならお母さんは止めないけど・・・でも蒼太クンに食べさせてあげるんでしょう? お母さんも手伝おうか?」
「う〜ん・・・でもそれじゃお母さんの愛妻弁当になっちゃうよ。私が作らないとダメなの!」
「でも・・・玉子焼きとか焦がさない? お料理失敗しない?」
「愛情込めれば大丈夫だよ」
 七海はそう述べて大きく肯いている。『愛情こそ最高のスパイス』という言葉があるが、スパイスが良くてもその土台が目も当てられぬ素材であったら意味を成さない。それこそ愛情というスパイスさえ味わえないだろう。母も最後には七海の熱意に負け、アドバイスのみに徹することとなった。


 父親が仕事から帰ってきても、七海はその存在さえ気付かずに料理に没頭していた。片手には料理本を持ち、神経を鍋に集中させている。
「・・・何事だい?」
 父は娘の珍しい異様な姿を見て母にスーツの上着を預けた。母は七海に振り返り、「愛妻弁当ですって」と笑った。
「愛妻・・・? ああ、伏見クンのところの息子か。ナナもなかなか一途なヤツだな。まぁ、あそこの息子ならオレも文句はないな」
 父は母につられて笑い、ソファーに腰を下ろして七海の後姿を見つめている。我が可愛い娘ながら、ああして甲斐甲斐しく料理を作っている様はなかなか微笑ましく見える。それが父親のためでないのが少し残念ではあるが・・・。
「そういえば聞いたか? 今日会社で部下の若いモンに聞いたんだが、先日文学賞の発表があったらしいんだ。その記事を見せてもらったら、その伏見クンの息子の名前も載ってたんだ」
「あら、それじゃ蒼太クン受賞したの?」
 母は驚いて父の上着を落としそうになった。その驚いた反応を見て、父は嬉しそうに笑っている。
「驚いたろう? オレも驚いたよ。あそこの息子は昔から優秀だったが、文学方面にも長けているとは・・・天は二物を与えるんだな」
「そうね。すごく面倒見もいいし、優しいし、才能もある。そんな子が私たちの義理の息子になってくれたら嬉しいんですけど。でもナナじゃ難しいわよ」
「まぁ・・・父親の立場からしてもフォローし辛いが、でもいい所もあるじゃないか」
「例えば?」
「ん? あ〜そうだな・・・例えば・・・ん・・・その・・・なんだ・・・」
 父は手を顎に当て、10秒ほど考え込むと、すぐに苦笑いを浮かべた。そして結局「腹が減ったぞ」と背を向けて逃げを選んだのだった。



 午後9時。
七海はお弁当の下ごしらえを済ませ、自分に部屋に戻っていた。既に夕飯、入浴等を済ませ、後は早起きして愛妻(?)弁当作りを再開するだけだ。ほとんど初めてに近いお弁当作りに苦戦しながらも、母のアドバイスのおかげで何とかうまくいきそうだ。それもこれも、自分の愛情という名のスパイスが効いたのだと本人は言う。
「・・・お兄ちゃん」
 七海はベッドに横になり、蒼太の写真を手に取った。まだ自分が小さかった頃、一緒に撮ってもらった写真だ。自分が小学校2,3年くらいの頃だから、この頃の蒼太は今の自分と同じくらいの歳のはずだ。それでも周りにいるクラスメイトに比べ、大人びて見える。
 七海は写真を軽く胸に当て、ゆっくりと目蓋を閉じた。恐らく、目蓋の裏では蒼太が映っているに違いない。もしかしたら明日の愛妻弁当を開ける場面のシミュレーションをしているのかもしれない。時折「えへへ」とにやける七海の姿があった。
「お兄ちゃん、楽しみにしててね!」
 七海がそう笑っている丁度その頃、とあるコンビニでは男がくしゃみをしていた・・・。

「クシュン!」
「・・・伏見クン、風邪かい?」
 浮かない顔をする今岡店長に、蒼太は鼻を押さえて苦笑した。
「あ、大丈夫です。ちょっと鼻がムズムズしただけなので・・・」
「大丈夫? 誰かが伏見クンの噂でもしてるのかな?」
「店長、それはないんじゃないですか? 噂でくしゃみなんて有り得ませんよ」
 蒼太はそう笑うが、この時七海が彼のことを呟いていることなど、今の彼には知る由もなかった。蒼太は廃棄時間になった唐揚げを取り出すと、記入用紙に数字を書いてその唐揚げを袋に詰めた。
「・・・店長、この新発売のレモン味って美味しいんですか?」
 今週から、このコンビニでは唐揚げのレモン風味が新発売として加わった。基本は普通のレギュラー、辛めのレッド、チーズの3種なのだが、時折新種が入荷する。蒼太が働き始めてからだけでも結構な数が増えては消えていっていた。蒼太は以前発売されていた「黒こしょう」の唐揚げのファンだったが、レモン風味にはあまり惹かれていなかった。今岡は蒼太のその言葉に苦笑してしまった。
「ハハ・・・ボクは正直言っちゃうと、あまり好きじゃないんだ。レモン自体がどうもね」
「仕方ないですよ。人には好みがありますから」
「うん、そうだね。お客様の中には『レモン好き』っていう人もいるだろうからね」
 その商品があまり好きでないのに、それをお客に勧めなければならないというのもこれまた可笑しな話だ。しかしそれもまた『商売』として割り切らなければならないところなのだろう。それが自分の嗜好に合う食品であれば、その食品の良いポイントを伝えることができるのだが・・・。
 店内を見渡すと、新しい顔がちらほらと見える。近所にあったライバル店のコンビニが新装のため、一時閉店してしまったからであろう。そのため、そこの店に厄介になっていたお客がこちらに廻ってきた。上からしてみれば「棚から〜」であろうが、蒼太自身は少し参ってしまっている。ライバル店からのお客が増えて売り上げが向上したとしても、それが自分自身の給料に反映される訳ではない。簡単に言ってしまうと『割りに合わない』のだ。この店の従業員は元々少なくて、ただでさえ長時間働いているというのに、それに上乗せしてお客が増えては身体が持たない。しかしオーナーは「このチャンスに常連客を増やせ」と言わんばかりにサービス向上を図る指令書を突きつけてくる。常連客が増えるのはこちらとしても嬉しいのだが、それよりも先に従業員を増やしてほしいものだ。事実、夜勤を任せてある従業員の一人が疲労で倒れてしまっている。
「・・・店長、ちゃんと寝てますか?」
 蒼太は心配そうに少しやつれてしまった今岡に訊ねた。倒れてしまった夜勤の代わりに、今岡がシフトに入っているのだ。朝6時からシフトに入り、21時に自分のシフトが終了する。しかしそれに加えて夜勤に入り、結局終わるのがどの6時間後の3時だ。合計すると1日に21時間の労働時間になる。睡眠時間もろくにとれていないだろうし、このままでは第二の犠牲者が出てしまいそうだ。
「ハハ・・・大丈夫・・・じゃないかな? でも人がいないから、仕様がないよ。アルバイトを募集しても、皆すぐに辞めちゃうからね」
「そう・・・ですね」
 蒼太は今岡の強がりの笑顔を見て、頭を掻いた。今まで数人バイトが入ったが、その全員が研修期間に辞めてしまっていた。『コンビニは楽』というイメージがあるのか、実際その忙しさを体験すると皆2週間と経たずに辞めていく。それがこの店だけにある忙しさなのかは分からないが、この店ではそんな感じが続いて従業員が増えていかない。
「働ける人、他にいないんですか?」
 蒼太の言葉に、今岡は天井を見上げて考え込んでいる。しばらく思考に耽っていたが、不意に顔を落としてレジ前に立った。客が数人レジに来て会計を済ませて帰っていくのを確認すると、今岡は「よし」と肯いた。
「来てもらえるかどうか分からないけど、一度頼んでみるよ」
「どんな人なんですか? 本部の人ですか?」
「いや、大学生だよ。伏見クンは違うチェーン店からこちらに移ってきた口だから知らないだろうけど、以前ここで半年程働いてくれた人でね。脚を怪我してから辞めてしまったんだけれど、一度聞いてみる。もしかしたら来てもらえるかもしれないからね」
 今岡はそう笑顔で肯き、再び仕事に取り掛かった。もしその人が本当に少しでもシフトに入ってくれれば、今岡の負担もだいぶ削減される。その誰かも分からない人に、蒼太は「お願いします」と心の中で願った。そして不意に店の外に目を向けた。
「・・・あれ?」
 蒼太は店の外にいる人物に気付き、その人物を凝視した。その人物は背を向けているが、間違いなく自分の知っている子だった。丁度自分の代わりにシフトに入る従業員が来てくれたので、彼に申し送りを済ませるとすぐに退勤処理を済ませ、着替えて店を出た。
「・・・こんな時間に、何してるのかな?」
 蒼太は叱咤を込めた言葉で彼女に聞いた。彼女はメガネをとり、蒼太の前で俯いてしまっている。そこにいたのは、数日前に会った七海の友人、辻口幸だった。幸はゆっくりと顔を上げると、蒼太と眼を合わせた。
「あ・・・あの・・・蒼太はんに聞きたいことあって・・・」
「こんな時間に? もう10時近いし、こんな時間に中学生が出歩くのは感心しないなぁ・・・。それに、明日キミ達の体育大会を観にいくって伝えたじゃないか。その・・・聞くことって明日じゃダメだったのかな?」
「明日じゃ・・・ダメなんや・・・」
 幸は手帳を取り出すと、頬を染めながら蒼太に詰め寄った。「あの・・・蒼太はんの好物を教えてほしいんや。蒼太はんの好きなものでお弁当作りたいんや」
「・・・お弁当?」
 蒼太は幸の言葉で呆然としてしまった。まさか中学生の女の子が、好物を聞くためにわざわざこんな時間にやってくるとは思ってもいなかったのだ。その幸の行為に、蒼太は無意識に笑みを浮かべていた。
「ハハ、お弁当のためにわざわざ来てくれたんだね。嬉しいけど、今後はこんな夜中に出歩かないように」
「あ・・・ハイ」
 幸は蒼太に叱られて、凹む・・・程繊細ではなかった。彼女の眼は強い光を帯びながら「そんで、好物は?」と続けた。
「まぁ、場所を変えようか。車で家まで送っていってあげるよ。その質問は車の中でね」
「あ・・・ハイ。でも・・・蒼太はんって意外と・・・」
 幸はその後に「積極的なんやね」と笑ったが、蒼太には聞こえなかったらしい。蒼太は車を店の前までもってくると、助手席に幸を乗せて出発した。



『決戦前夜』 完
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