『強い雨と風を終えて』




「有難うございました。またお越しくださいませ!」
 一通り仕事を終えて、蒼太は店内を見回した。既に時刻は午後10時を廻っている。夜の分の便の搬入が終了し、これから日付が変わるまでは少々暇な時間が続く。店内も立ち読みの客が数人いる程度だ。その客全員が常連客であり、今日もいつもと変わらない夜勤になるのだろうと思っていた。そう思っていた蒼太に、同シフトに入っていた店長が声をかけてきた。
「伏見君、しばらく暇だから、今のうちに休憩をとっておきなよ」
 今岡店長はそう微笑んで言ってくれた。それを聞いて蒼太は苦笑して首を横に振った。
「いや、まだ大丈夫ですよ。ボクよりも彼女を早めに退勤させてあげてください」
 蒼太はそう言って、棚を掃除している水野に視線を向けた。「女の子をいつまでも残しておくわけにはいきませんからね」
「ハハ、そうだね。それじゃ伏見君には悪いけど、水野さんを早めに帰らせようか」
 今岡はそう言って水野の元へ走っていった。

 今岡はまだ若いのに、このコンビニの店長という地位についている。確かまだ25歳くらいだったはずだ。20過ぎくらいから店長についた彼の敏腕はなかなかのものだ。ほぼ毎日、朝から深夜までこの店で仕事をしているため、住民にも顔を知られており、その人柄の良さで、子どもから大人まで慕われている。それどころかライバル店のコンビニのオーナーとも仲が良いらしい。まぁ、蒼太自身もそうやって今岡に惹かれている一人なのだが・・・。
「伏見君、本当にいいの?」
 今岡から話を聞き、水野がレジ前にいる蒼太に駆けてきた。それを聞いて、蒼太は笑顔で肯いた。
「ああ、勿論。この辺りは皆良い人ばかりで心配はないと思うけど・・・やっぱりあまり遅くなるとこちらも気に病むからね。ボクに構わず早く帰って明日に備えた方がいいよ。明日、デートなんだよね?」
 蒼太にそう言われ、水野は「ボッ」と顔を赤くした。その水野の反応を見て、蒼太も今岡も微笑ましそうに眺めている。ひとしきり堪能すると、蒼太は「寝坊してデートに遅刻するとコトだからね」と付け加えると、水野の肩を叩いた。
「あ・・・ありがとう。伏見君ってやっぱりいい人だね。いい男だよ」
「いやいや、ボクなんて全然さ」
 恥ずかしがりながら退勤の準備をしにいく水野に、蒼太は苦笑して彼女の背中を見送った。蒼太は眼を細め、ボソッと呟いた。
「・・・そう・・・ボクなんて・・・」








 折角の休日だというのに、近辺に接近している台風のせいで自宅に篭る不健康な一日になりそうだ。朝から大粒の雨が降り注ぎ、窓から見える木々が左右に振られている。こんな風の強い日に傘をさせば、自分ごと飛ばされてしまいそうだ。七海はすぐにカーテンを閉め、電気をつけた。この時間帯に外の薄暗さを見てしまうと、時間の感覚が狂ってしまう。朝の8時だというのに、夕方近くと錯覚させられる。
「あ〜あ・・・これじゃお兄ちゃんのいるコンビニにも行けないや」
 七海はそうぼやくと、部屋のテレビをつけて再びベッドに横になった。そして横になった状態でチャンネルを変えていく。しかしどのチャンネルも台風情報ばかりで、七海の興味を惹く番組はなかった。唯一台風以外の報道をしている番組といえば、アメリカの病院乗っ取り事件くらいのものだった。七海は仕方なくチャンネルをそれに固定し、眠気が襲ってきている目を画面に向けた。
 この事件は少し前に観たことがある。確か夏休みが終わる前、武器を持った数人のグループがアメリカの大病院を乗っ取り、施設を使用したという報道だったはずだ。しかしそれよりもある男性が病院の屋上から飛び降りて、まるで猿のように隣のビルに飛び移る『軌跡のダイブ』と称された映像の方が乗っ取りの事実よりもインパクトがあった。銃で撃たれていたようだが、それだけの胆力には七海自身驚かされた。銃社会と呼ばれるアメリカを恐ろしく思う反面、あの男性のように大切な人のためにああやって動いてほしいという願望も抱く。それは勿論、蒼太が自分を助けるというシチュエーションだ。
「いいなぁ・・・お兄ちゃんも・・・私のために動いてくれるかな・・・」
 七海の頭の中では、既にその飛び降りた男性と蒼太がすり代わってしまっている。そしてその後のストーリーは、例のように無人の野を行くが如く妄想を突っ走らせる。そんな幸せの妄想に浸っている七海に、それを防ぐかのようにタイミング良く携帯電話に着信がかかってきた。妄想も山場に入っていたのか、七海は恨めしそうに携帯電話を手に取った。
「・・・もしもし」
「あ、ナナ。私、明日香だけど・・・今大丈夫?」
「今お兄ちゃんと色々あって忙しいの」
「・・・はぁ? ・・・ああ・・・そう・・・そういうことね。またいつものやつね」
 明日香は溜息混じりに苦笑している。既に七海が言った言葉の意味を正確に捉えているのだろう。まぁ・・・「またいつもの妄想」であることは他の人間からでも分かるかもしれないが・・・。
「それよりもナナ、折角の休日なんだから、しっかり受験勉強してる?」
「こう雨音が煩くちゃ、全然勉強に集中できないよ」
 明日香の問いに、七海はそう答えた。尤も、天気が良くても勉強に取り掛かることなどしないのだが、七海はそれを天気のせいにして机の上に置かれてある勉強道具を一瞥した。
「そうね・・・。まぁナナは元々勉強する気は無いんだろうけど、私もちょっと集中できないのよ。一応音楽かけて勉強始めたんだけど、全然ダメね。来週には体育大会も始まるし、その数ヵ月後には入試・・・もう憂鬱よ」
「でも明日香ちゃんには遥斗クンがいるじゃない」
「・・・それ、関係ない! 別にその・・・彼がいてもそういう助けにはならないし・・・」
「あ、今『彼』って言った? へ〜・・・『彼』かぁ〜」
「・・・ナナ、あんた本当にその話題には目ざといわね」
 受話器の向こうで明日香が溜息をつく姿が容易に想像できる。会話に疲れたのか、数秒程無言のやり取りが続いた。
「ああ・・・そうだ。肝心な用件を伝えるの忘れてたわ。ナナ、入試前に皆で集まって勉強会しようって話がきたんだけど、あんたも来なさい。これから急ピッチで勉強を叩き込むよ」
「・・・え〜・・・誰が来るの?」
「私と桐沢と辻口さんと・・・その・・・水橋クン」
「・・・遥斗クン? 何で?」
 遥斗は一学年年下だ。それなのにどうしてその受験生の集団に混じって参加することになったのか経緯が気になるが、そのシチュエーションは七海にとっても楽しい時間になることは間違いない。そこに憧れのお兄ちゃんがいれば更に文句無い。「何で?」と聞いておいてすぐに七海は続けて聞いた。
「ね、お兄ちゃんにも助けてもらおうよ。お兄ちゃんなら勉強もできるし、皆助かるよ?」
 本音は全て自分のためだが、結果的に明日香たちの勉強を捗らせる優秀な講師であることは否定できない。七海の本音を正確に理解している明日香であったが、その事実を前に仕方なく考慮するしかなかった。
「一応・・・聞いてみるけど・・・その代わりナナ! しっかり勉強してよ?」
「うん、任せて!!」
 返事だけは一人前のナナに、明日香は更に憂鬱の色が濃くなったのを感じた。





 足の速い台風だったようで、夕方頃には雨も風も治まり、いつも通りの夕暮れがやってきた。そんな朱色に染まった空を、蒼太はコンビニの店内から眺めていた。地面には水溜りが幾つも出来上がり、それに夕焼けが反射して幽玄な景色を思わせる。その上空に小さな小鳥たちが舞い、その光景は芸術的な一枚の絵のようだ。それを見て、蒼太は微笑した。
「店長、ようやく晴れましたね」
「そうだね。それより、水野さんが心配だよ。今日デートだったんじゃないかな?」
 タバコの補充をしながら、今岡は苦笑して言った。
「・・・多分、大丈夫だと思いますよ。映画を観に行くと言ってましたから、影響はないはずです。確か彼氏も車があったはずですから」
「だといいけどね」
 蒼太はしばらく芸術の絵を眺めると、それに背を向けて仕事に取り掛かった。しかし仕事と言っても今日は驚くほど暇だ。早朝の6時から店内にいるが、台風のため客も数えるほどしか来店していない。定期にやってくる便のトラック以外の客というと、長距離トラックの運転手。このコンビニは商店街の外れに点在するのだが、他には商店街の常連くらいだ。
 まだまだ雨風の強い昼頃に、やけにインパクトの大きいお爺さんがやってきたのを思い出した。見た感じ60近かったが、大量の雨の中を元気に走ってやってきて、犬のエサを購入して再び走り去っていった。痴呆でも始まっていた可能性もないではないが、「なかなかの愛犬家」と勝手に解釈した。
「お客さん、来ませんね」
 蒼太は店内に飾るポップを作りながら笑った。それを聞き、今岡も同じように笑った。
「そういえばいつもの女の子、今日はさすがに来なかったね。平日なら夕方、土曜日と日曜日ならお昼くらいに来てくれるんだけどね」
「えっと・・・女の子って・・・ああ、あの子ですか」
 蒼太もすぐに思い当たり、苦笑してしまった。「今あの子は受験勉強で忙しいですからね。そんなに頻繁にコンビニに立ち寄ることは難しいと思いますよ。ボクの受験の時はずっと部屋の中で缶詰でしたからね」
「ハハ・・・伏見クン。どうやらキミの予想は外れてしまったみたいだよ。ホラ、噂をすれば影・・・だね」
「え?」
 今岡は店の入り口付近に視線を向けている。蒼太もそれに気付き、視線を移した。そこにはたった今話のネタにされていた少女がこちらに向かって歩いている。その周りには少女の友人2人、そして自分が全く見知らぬメガネをかけた女の子も一緒だ。蒼太はその集団を確認し、笑顔で扉を開けて迎えた。
「・・・こんにちは・・・七海」


『強い雨と風を終えて』 完
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