『ハゲという名の不幸』




 受験生という大事な時期であるが、父親の仕事の都合により、やむえず転校せざるをえなかったらしい。
メガネでポニーテールで関西弁。転入してきて最初の自分とのやり取りが受けたのか、同性にはすぐに打ち解けることができたようだ。そして見た目美少女・・・いや、オレは認めないが、クラスの男子はそう色めきだっている。午前の授業が終了し、給食が終了してもまだそんな感じが続いていた。

「・・・はぁ」「・・・はぁ」
 守と明日香は同時に溜息をついた。
「・・・林、心中察するよ」
「・・・桐沢もね。隣の子、なかなか強烈ね・・・」
 互いに自分を蝕むストレス要因が存在している。明日香は遥斗のこと。守は転入生の幸のこと。要因はそれぞれ異なっているが、気分を落ち込ませるには十分な要因だ。
 その場に例のごとく七海がやってきた。
「ね、守ってハゲだったの?」
「・・・バカ、お前の目は節穴か? ご覧の通りしっかり髪は生えてるだろう」
 守はそう言って自分の髪に手を置いた。「・・・ったく、アイツは一体何なんだよ・・・」

「あ、ハゲ。ここにいたんか」
 その声を聞き、守は強烈な悪寒を感じた。恐る恐る振り返ると、そこには自分のストレス、辻口幸が仁王立ちしていた。
「・・・だから、オレはハゲじゃないと何回言わせる気だ」
「別にええやんか。どうせあんた歳くえばハゲんねやから。今のうちに慣れとくのも一つの手やぞ?」
「あ〜ぁぁぁぁ・・・一体どこから突っ込めばいいんだよ」
 守は深い溜息をついた。「オレが歳とったらハゲるなんて勝手に決めるな。それに慣れておくって何だよ。オレは歳とったら『ハゲ』と日常的に呼ばれるようになんのか? その前にお前が原因でストレスとってハゲちまうよ」
「ああ、それなら丁度ええやん。あだ名もハゲで、頭もハゲになれば、一石二鳥やん」
「勝手にあだ名をハゲにすんじゃねぇ。それに一石二鳥って何だ。何にも得しねぇよ」
「まぁ、ハゲの言い分はどうでもええ」
 幸は守が哀れになる程あっさりと言い放った。「それより、ウチはまだこの学校のことなんにも知らんのや。案内してくれへんか?」
「嫌だ。他の奴に頼め」
 守は断固拒否する構えをとった。会ってまだ間もない人間に対して、ここまで嫌えるのは守自身ビックリだった。しかしそれだけ最初の印象が最悪だったということだろう。「ハゲハゲ」言われて喜ぶ人間などいるはずもない。だが幸はそんな守の主張など全く聞く気もないようだ。
「だからハゲの言い分はどうでもええと言ったやろ? ええから早く案内せぇや」
「・・・胃が痛い・・・」
 崩れ落ちる守を、幸は無理やり引っ張って行った。クラスの皆はその光景を見て、不謹慎にも手を合わせてお祈りをしていた・・・。




「何や、元気ないな。体調でも悪いんか?」
 幸は前を進みながら守にそう話しかけてきた。よく言うものだ。自分がこれだけ落ち込んでいる原因は、当のお前だというのに、全く自覚がないらしい。七海の扱いも厄介だが、この幸の扱いも非常に難解に思えてしまう。
「元気出しー。そんなんじゃハゲの名が泣くで?」
「・・・オレはそんな変な名を継いだ覚えはない」
「あ、そうや。今日金曜ロードショーで見たい映画がやるんや。ハゲも観とるか? 金曜」
 幸との会話は・・・いや、そもそも会話というものは両者の言葉を互いが受け取ってこそ成立するコミュニケーション。幸が一方的に投げつけてくる言葉は、会話というにはあまりにも自己中心的だ。それはまるでキャッチャーの指示を無視する変化球投手を思わせる。幸の投げる言葉は鋭い変化を得て、守にぶつかる。本心を言えば投げられた言葉をスルーしたい気分だ。
「・・・ああ、たまに。今日は確か・・・ジブリ作品だったかな」
「ああ、そうやそうや。あの主人公とヒロインの親役の狼との会話がええんや」
「ああ、あの『あの子を解き放て』とかいうシーンか?」
 守のその言葉を聞き、幸は振り返ってこちらに笑顔を見せた。
「そう、それや。そんで狼が罵るんや。『黙れハゲ!』って」
「『黙れ小僧』だ」
 守はそう言いながら、あの狼の声でそのセリフを叫ぶシーンを想像してしまい、不覚にも吹いてしまった。それを見て、幸も楽しそうに笑った。全く、この女はどれだけ「ハゲ」にこだわるつもりなのか知らないが、なかなか斬新なことを言う。
「・・・お前はそんなにハゲが気に入ってるのか?」
「う〜ん・・・そうやな。あ、でも勘違いすんなや? お前が気に入ってるって訳やないで?」
「光栄だ」
「何や、光栄って。そこはもっとショック受けるとこやろ?」
「まぁ、どうでもいいから早く学校案内終わらすぞ。早く回ろうぜ」
「コラ、何勝手に仕切っとんのや。いつウチより上位になってええと許可した?」
「いつオレがお前より下位になったんだよ」
 適応力が高いのか、すでに自己中的な幸とのやり取りも慣れてしまっている。そんな自分を感じて「岩戸で慣れたかな?」と笑ってしまった。守が先に進んでいるときに後ろで幸が「これは調教が必要やな」と呟いていたが、聴こえないことにした。






 午後の授業は体育大会の練習をすることになった。
七海たちが行う3年の種目は、@二人三脚 A騎馬戦 B綱引き Cリレー Dダンス・・・といったところだった。まず始めに二人三脚の練習をしようと、守が相方の男子に声をかけようとした時、担任が守を呼びつけた。
「桐沢、ちょっといいか?」
「? 先生、何ですか?」
 守は担任に駆け寄った。担任の横に幸がいることに気付いた。幸は楽しそうにこちらに笑いかけている。その笑いの意味が分からず、守は首を傾げたが、担任の一言でその意味を理解した。
「あ〜・・・実はな、二人三脚のペアの件なんだが・・・辻口さんが入ってくると端数になってしまうんだ。それで桐沢に辻口さんとも組んでもらって、2回出てくれると助かるんだが・・・」
「・・・は? ちょ・・・ちょっと待ってください。何でそのペアが問答無用でオレなんですか? 普通女子とかじゃないんですか?」
「いや、だって転校初日で一番辻口さんと仲良さそうだったからな」
「それは勘違いですよ」
 慌ててそのことを否定しようとする守に、幸は担任との間に割って入ってきた。
「諦めや、ハゲ」
「だからオレはハゲじゃないと何回言わせる気だぁぁーーー!」
「センセ、このハゲの言うことは無視してくれてええで。早速練習しよや」
 どうやらここで守が何を言ったとしても、彼の願い通りの結果には進展しないようだ。「諦めが肝心」という言葉があるが、諦める以外の選択肢は用意されていないらしい。周りにいるクラスメイトも、それを楽しんでいるように見える。仲間の男子の連中など、「お似合いだな」「羨ましいぞ」と笑っている。
 ・・・溜息が・・・止まらなかった。


 皆はそれぞれ両者の足首を紐で結び、スタートラインに順番に並んだ。守は幸と、七海は明日香と組んでいる。
「・・・お前は本当に自分勝手だな」
「何や、本当はウチと組めて嬉しいくせにこのスケベ。あ、そうか、ツンデレってやつやな? ハゲでスケベでツンデレで、忙しい奴やなぁ」
「・・・助けてくれ」
 守は逆隣にいる明日香たちに視線を移し、懇願した。明日香と七海はこちらを向き、明日香のみ同情を含んだ顔を浮かべた。それとは対照に、七海はこれ以上ないくらいの笑顔だ。
「明日香ちゃんも好きな人ができたし、守にもいい人ができた。良かったね」
 七海は何の悩みもなさそうで羨ましい。さぞかし彼女の人生は幸せなのだろう。それを聞いて幸は笑った。
「えっと・・・あんた確か『ナナ』って呼ばれとったな。念のため言っとくけど、ウチはこのハゲのことは何とも思ってへんで?」
「そうなの? でもハゲクンって結構頼りになるところもあると思うよ」
 幸だけでなく、七海さえも守のことを「ハゲ」と言い始めた。それを正す気力すらすでに今の守には残っておらず、「守にものいい人が」「ハゲ」という突っ込みたくなる2つの部分に対して、ただただ聴こえないフリをしていた。

 順番が回ってきた。七海や守たちの前にいたクラスメイトが走り終え、ついに彼らが疾走しないといけなくなってしまった。
「明日香ちゃん、守には負けないように頑張ろうね! 遥斗クンのために!」
「・・・それ、関係ないでしょ」
 握りこぶしを作って意味不明な言葉を投げかけて意気込む七海に、明日香はテンションを落としたまま答えた。もう一方のペアも、片方だけテンションを上げていた。
「お、行くでハゲ。ちゃんと右、左、右で行くで?」
「・・・へいへい」
「へいへいって何や。二人三脚はな、二人の息が合わんといかんのや。ちゃんと左、右、左やで?」
「・・・さっきは最初が右じゃなかったか?」
「ハゲの言い分はどうでもいいんや。とにかくウチは全力疾走するで、ちゃんと合わせて走りー」
「・・・無茶言うな」
 守がそうぼやいた直後、スタートの合図が鳴った。
 2つのペアはゴールを目指して走り出した!


 ・・・そして、転んだ。
どちらのペアもテンションの高い人物によってリズムを崩され、3メートルも進むことなく転倒することとなった。だが一方のペアだけがすぐさまゴール目指して再び走り出した。一方といっても、片方の人物だけだ。その人物は当然・・・幸。彼女は倒れこんでいる守を引きずり、彼が体勢を整う時間すら与えず足を交互に動かしている。
「ま・・・待て! 痛い!」
「ウチは痛ぁない!」
 そんなやり取りをしながら、砂煙を巻き上げつつそのペアは徐々にゴールに近づいていく。しかしもう一方のペアも負けてはいない。
「お兄ちゃん!」
 ・・・と叫ぶ七海が先ほどと同一人物とは思えないほど、ペアの呼吸を合わせて幸たちに追いつき始めていた。これは明日香の策略。普段通りに走れば、七海の不思議なペースに巻き込まれてろくに歩くこともできない。しかし明日香は七海が抱く蒼太の想いを利用した。七海の想いは諸刃の剣のようなものだ。暴走して取り返しのつかない事態に陥らせることもあるが、うまく利用すれば彼女の集中力を高めるこれ以上ないほどの武器となる。

「ゴールの後ろで伏見センパイが応援していると思いなさい」
 ・・・たったこれだけの言葉で、七海は明日香との足並みをピタリと合わせて走っている。そしてそれはどんどんペースを上げ、ついに幸・守ペアを抜き去った。そしてその瞬間、ゴールの線を越え、七海・明日香ペアに軍配が上がった。ゴール後、足首に巻いた紐を外し、待ち組の列に並んで座った。明日香は七海に視線を移すと、先ほどの自分が言った「センパイの姿」がまだ残っているのか、何やら照れながら一人ブツブツと呟いている。
「ハゲのせいやで!」
「・・・お前のせいだよ」
 隣では幸と守が何やら言い争いをしている。先ほどのレースでの責任問題を擦り付けているのだろう。
・・・まぁ客観的に見れば原因は幸の非協力的な姿勢なのだろうが、当の幸は「ハゲの言い分はどうでもええ」と守の意見をのっけから聞かぬ態度を示している。その光景を見ながら明日香は苦笑した。

「・・・あの子が転入してきたおかげで、賑やかになるわね」
 明日香は座りながら空を見上げた。「秋の空」・・・それは正に今日のことを言うのだろう。今の空は高く澄み渡り『天高く馬肥ゆる秋』というに相応しい。秋の別名として高秋という言葉があるが、確かに空が高く感じる。その空は見上げていてとても和ませてくれる。今の自分の不安も、和らいでいくようだ。

 ・・・それは勿論受験の件だ。断じて異性のことなんかではない。今の自分は受験生なのだから、そんな後輩のことで一日中悩んでいる訳はないのだ。
「・・・そう、違うのよ」
 明日香は一人でそう肯いている。


 彼ら4人を傍で見ていると、「変な奴ら」としか映らないだろう。クラスメイトの仲間も、そんな彼らをクスクスと笑いながら見ている。彼ら変な奴ら4人の面白劇は、まだまだ続きそうだ・・・。



『ハゲという名の不幸』
 NEXT→

inserted by FC2 system