『少年少女の心情』



 ・・・翌日、学校に謎の動画が送られてきた。
暴力を振るう渡辺とその他。被害者の顔は映っていないが、その一部始終を収めた映像が教師たちを驚かせた。早朝の時点ですぐに緊急の職員会議が開かれ、彼らの処遇の程を議論。そして放課後、校内にいた彼らは呼び出され、自宅謹慎となった。
「誰がこんな」
 渡辺はそうぼやいた。映像を見せられ、それが撮られたであろう場所は校門側。あの時一悶着あった桐沢守とは全く別方向だったからだ。そしてこれも・・・蒼太が七海に「やらないといけないこと」として伝えたもう一つの保険だった。それがなければ渡辺たちの恨みの対象は守に向けられてしまい、今後目の届かないところで何をやられるかわかったものじゃない。しかしここで第3者を仕立て上げれば、渡辺たちの意識は自然とそちらに向けられる。それはあの時邪魔をした守よりも優先度が高くなると踏んだらしい。蒼太の予想通り、渡辺たちは顔を真っ赤にし、既に水橋や守のことなど忘れ、その存在しないはずの第3者に怒りを向けていた。



「良かったね」
 七海がスキップ気味に帰路を辿る。それに明日香、守が続く。
「ああ、岩戸の兄ちゃんって本当にすごいな。職員室に偶然いたオレの友達が言ってたんだが、渡辺たちは完全にいないはずの人間に切れてたぜ。それにしばらく自宅謹慎。これで・・・水橋も楽になるな」
「そうね・・・」
 明日香のその返事を聞き、七海は首を傾げた。何やら元気がないように見える。しかし七海はすぐに「そっかぁ」と肯いた。
「ね、明日香ちゃん」
「な・・・何よ」
 七海はズイっと顔を覗き込み、明日香はそれに驚き身体を仰け反らせた。
「今日・・・休み時間ずっと教室にいなかったよね? もしかして水橋クンのところに行ってたんじゃない?」
「な・・・わ、私は・・・」
 顔を赤らめて後退る明日香に、七海は更に詰め寄る。
「心配だよね〜。昨日もすごい傷だらけだったし、明日香ちゃんも心配だよね」
「私は・・・そんな・・・別に・・・」
「何かお話した?」
「し・・・してないわよ。水橋クン今日は休んでたから・・・」
 そこで明日香はうっかり口を洩らしてしまったことに気付き、慌てて口を押さえた・・・が既に遅い。前を行く七海も、隣にいる守も、ニヤニヤとこちらを見て笑みを浮かべている。七海に迫られ、水橋のクラスを見に行ったことを自分から白状してしまった。
「そ、そうよ! 心配よ! だって私のせいであんなになっちゃったんだから、心配するのは当然でしょ!?」
 明日香は諦めて開き直り、「それが筋」と言わんばかりに胸を張る。しかし2人はそれでもニヤニヤと笑っている。七海は「うん」と肯くと、明日香の手をとった。
「それで明日香ちゃんはこれから水橋クンのお見舞いに行くんだよね?」
「・・・え」
「水橋クンのクラスの友達にでも、住所聞いたんじゃないかな? 優しい明日香ちゃんなら心配してお見舞い行きそうだもんね」
「そ・・・そうね。心配だからちょっと顔を見に行っても・・・いいわね・・・」
 明日香は口元を引きつらせて七海から目を逸らした。七海のこういう部分は妙に鋭い。頭の回転が鋭いのではない。だたそれは彼女にしてみたら、それが一番理想的な恋愛とでも妄想しているのだろう。大方自分自身と蒼太を置き換えて考えているのだろうが、運の悪いことに、彼女の考えどおりの筋書きであることは認めざるを得ない。明日香の言葉を聞き、七海は「うん、きっと喜ぶよ」と自分の考えどおりの展開に喜んでいる。
「それで、住所はどこなんだ?」
 守に問われ、明日香はカバンから手帳を取り出した。この時点で住所も調査済みであることで、後で七海に何か言われるだろうがもう諦めた。
「えっと・・・八幡町だから・・・西一宮駅の近くね」
「西一宮駅ってーと・・・ああ、あの辺りか」
 守は頭の中に地図を描き、おおよその見当をつける。「それじゃ、今から行くか」
 3人はすぐに八幡町へと向かっていった。




 うん、やっぱりそうだ。
こうして見てると、明日香ちゃんはやっぱりいつもと違う。これは私と同じ、恋する女の子の横顔に違いない! だって水橋クンの家に近づくにつれて、どんどん頬が真っ赤になっていくんだもん!! 絶対そう!!

 七海はそう肯き、恥ずかしがる明日香の手を引く。
「ね、明日香ちゃん」
「な・・・何よ」
「水橋クンって、明日香ちゃんを守ってくれたんだよね。格好いいなぁ〜王子様みたい!」
 七海がそう言った瞬間、明日香は慌てて目を逸らした。
「そ、そんな格好よくなかったわよ。それに言ったでしょ、私は人に守られるのはイヤだって・・・年下なら尚更。そう、だから別に水橋クンが気になるとかそんなんじゃなくて・・・ね、ナナ、分かるでしょ?」
「うん、明日香ちゃんは水橋クンが好きになっちゃったって分かった!」
「ちょ・・・ちょっと!」
 明日香は慌てて取り繕うとするが、その反応を見て七海は更に喜んだ。
(うん、やっぱり間違いない! 明日香ちゃんは水橋クンに心を奪われちゃったに違いない。私がお兄ちゃんに奪われちゃったみたいに、明日香ちゃんも盗られちゃったんだぁ〜)
「ナナ、勘違いしないでね? わ・・・私は別に・・・」
「うん、勘違いしないよ。明日香ちゃんは水橋クンが好き!」
「は・・・話を聞きなさい!」
 そんな思春期女子2人のやり取りを、守は恥ずかしながら聞き耳を立てていた。こういう恋愛関係の話を聞くと、男子としては妙にこそばゆく感じてしまう。興味がない訳ではないのだが、その空間に飛び込むのは妙に気恥ずかしい。
「・・・おい、林が水橋に惚れたのは分かったから」
「ちょ・・・桐沢まで何言ってるのよ!」
「分かった分かった。それより水橋の家に着いたぞ」
 正面に迎える家の表札は、確かに『水橋』と書かれてある。それを確認し、守が躊躇せずにインターホンを鳴らした。するとしばらくして「はい、どなたですか?」という母親と思われる女性の声が届いた。
「えっと・・・その、ボクたちは水橋・・・遥斗クンの友達で・・・今日欠席してたから心配でお見舞いにきました」
「・・・そうですか・・・」
 母親の声はどこか元気がない。息子である水橋遥斗が傷だらけで帰ってきたのだ。無理もないかもしれない。もしかすると自分たちがイジメている加害者とでも僅かながらにせよ疑っていても可笑しくない。しかしここで自分たちが加害者でないと証明するものは何もないのだから、追い返されても仕方ないと半ば諦めかけていたが、正面の扉はガチャリと開いた。
 水橋遥斗の母親が自分たちの前に顔を出し、3人を凝視している。
「・・・あなたたち・・・お名前は?」
「えっと・・・ボクは桐沢です。こっちの2人が岩戸と林で・・・」
「あら、それじゃあなたが林明日香さんね?」
「え?」
 母親は守に紹介された明日香の顔をジーと見つめている。当の明日香は苦笑し、目を逸らしながら質問した。
「あの・・・私のことご存知なんですか?」
「ええ、勿論。あなたたちなら大丈夫ね。さ、上がって頂戴。遥斗は今寝てるけど、すぐに起きてくるわ」
 母親は先ほどとは別人のように、明るい表情で彼らを招いてくれた。明日香と守は腑に落ちない気分であったが、七海だけがニンマリと明日香の背を押した。水橋の家はなかなか上等なもので、広い庭もついていた。母親は主婦・パートだと思われるから、父親の年収の高さが窺える。玄関を抜けてお邪魔すると、母親はすぐに3人を客間に案内してくれた。
「お茶を淹れてくるから、少し待っててね」
 そう言われて3人は客間にあるテーブルを前に腰を下ろすと、七海と守は明日香に視線を移した。
「ね、明日香ちゃん。お母さんは明日香ちゃんのことよ〜く知ってるんだね!」
「・・・オレもそれが気になった。それはやっぱり・・・水橋が・・・なのかな・・・?」
 七海は相変わらずのテンション、守は恥ずかしながら明日香の反応を待っている。しかしここで一番テンションが上がり、そして恥ずかしがっているのは明日香本人なのかもしれない。明日香は2人の言葉に対し、頬は紅潮し、笑顔は引きつり、ひたすら笑っている。
「な・・・そ、そ、そんな訳ないでしょ! 水橋クンが私に声をかけてきたのだって、私に被害がかからないように・・・ってことだし、水橋クンがそんな私みたいな・・・・アレな訳ないじゃない! ハ・・・ハハハ」
「でも私聞いたよ〜。あの時水橋クン、『先輩が傷つくのはイヤです』って言ってたよね。アレはどう聞いても、私みたいに恋した人の言葉だよね」
 七海は目を閉じ、その光景を思い浮かべている。しかしそれは正確ではなく、大方、明日香と水橋が七海と蒼太にすり代わっているのであろうが・・・。
「そ・・・それはその・・・きっと聞き間違いよ。私あんなに近くにいたけどそんなの聞こえなかったわよ。ね、だからその話はこれでお終いにしましょ?」
「・・・お兄ちゃん」
 明日香は慌ててこの『水橋が抱く明日香への想いは?』という会議を終了させようと試みるのだが、一番の責任者は既に自分の妄想の世界に飛び込んでしまっており、明日香の言葉はそのまま宙に浮いた。
「ん? 岩戸どうしたんだ?」
「あ〜・・・ナナはそうなったらしばらく帰ってこないから、無視してて構わないわ」
「・・・はぁ?」
 3人がそんなやりとりをしていると、戸が開いて母親がお盆にお茶を乗せてやってきた。
「まだ残暑が厳しいから、冷たいお茶を用意しておいたの。さ、お菓子も持ってきたから遠慮しないでね」
 母親はそう言って、3人の前にそれぞれ置いていった。そしてその動作が終了すると、母親は3人に向き合うように座った。
「・・・昨日、遥斗が傷だらけで帰ってきました」
 守がお菓子に手を伸ばそうとした瞬間、母親はいきなり本題に入った。守るは苦笑しながら伸ばした腕を引っ込め、姿勢を正した。
 母親はそれだけ言うと黙った。それは3人の反応を待っているようにも見える。まっすぐに見据えられる視線を受け、3人・・・いや、妄想中の七海以外の2人は真実を話すべきか悩み窮した。そこで意を決し、明日香は勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 私のせいなんです!」
「お・・・おい、林、あれはお前のせいじゃないさ。悪いのは全部渡辺だ」
 頭を下げる明日香に、隣に座っていた守は慌ててフォローした。「な、岩戸。お前からも言ってくれ。林は悪くないって・・・岩戸?」
 弁護の同意を求め、守は七海に視線を移したが、七海は話を聞いていなかった。相変わらず「蒼太お兄ちゃん」のことで頭が一杯のようだ。守はすぐに諦め、母親に向き合った。
「・・・あの、こいつは悪くないんです」
 守るがそう言うと、母親は微笑んで小さく肯いた。
「・・・わかっています」
「え?」
 明日香は頭を上げ、母親の目を見据えた。
「わかっています。全部お話は窺っています。その渡辺という子のこと、そして林明日香さん、あなたのことも・・・」
「それは・・・遥斗・・・クンから聞いたのですか?」
 守は聞いた。
「・・・いえ、遥斗が家に帰って部屋にこもると、『伏見』と名乗る方からすぐに電話がかかってきました」
「お兄ちゃん!?」
 伏見蒼太の名を聞き、七海はようやく現世へ戻ってきた。守の言葉は耳に届かないくせに、その名を聞くだけで目を輝かす。守は溜息をつきたい気持ちで一杯だったが、ひとまず耐え、母親に問いかけた。
「・・・それじゃ、本当に全部知っているんですね?」
「ええ。あなたたちのおかげでその渡辺という子も自宅謹慎、先生方も今後その子に目を光らせることになったと言ってみえました」
 それを聞き、七海は当然のことながら、明日香も守も、蒼太の思慮深さには尊敬の念を覚えた。状況説明で電話したことはしたが、それは僅か1分にも満たない時間だった。それだけで現状を把握し、解決策を講じ、そしてその事後処理まで手を伸ばしている。アドバイザーとしてこれ以上頼もしい人物はいないだろう。
「・・・それに、林さん」
「は、はいっ!」
 母親に名を呼ばれ、明日香は無意識に背筋を伸ばした。
「あなたのことは前から遥斗に聞いていたんですよ。部活の先輩ですごく綺麗な人がいるって・・・ね」
「・・・へ?」
「遥斗は気の弱い子だけど、やっぱり男の子ね。ちゃんと守るために動いたんだものね」
「あ・・・あの・・・それは・・・どういう意味ですか・・・?」
 ニコニコ微笑む母親に対し、明日香は苦笑しながら視線を落としている。そんな明日香を見て、守は妙なくすぐったさを感じてあさっての方向に視線を飛ばし、七海は母親同様ニコニコ笑っている。「思ったとおり」とでも言いたげな表情だ。
「フフ・・・母親の私が言えるのはここまで。あとは遥斗本人に勇気があれば続きが聞けると思うわよ」
「え・・・え・・・や・・・私はそんな・・・・・・・・・えーーーーー!!!!?」
「明日香ちゃん、やったね!」
 隣で七海はニコニコとガッツポーズをとっている。しかし明日香はそれとは逆に、顔を真っ赤にして涙目になってしまっている。
「ちょ・・・別にやってないわよ!」
「もう明日香ちゃんから無理やり聞き出しちゃえ」
「な・・・な・・・ナナ! あんた他人事だと思って無責任なこと言わないでよ」
「ううん、ちゃんと真剣に考えてるよ。大丈夫、水橋クンなら強気でいけば絶対白状するよ!」
「・・・ちょっと、桐沢! あんたも他人のフリしてないでナナを止めてよ!」
「・・・オレに岩戸を制御するのは無理だ。今までのやり取りでそう学んだ。そんな訳でオレは力になれない。・・・・・・頑張ってくれ」
「薄情者!」
 3人のそんなやり取りを見て、この騒ぎの発端である母親は微笑ましく眺めていた。しかし少しして、部屋の戸が開いた。それに気付き、皆一斉にそちらに目を向けた。
「・・・母さん、お腹空いた・・・アレ?」
 そこには現在の話題の渦中にあった人、水橋遥斗が立っていた。遥斗は戸を開けてすぐに来客に気付いた。
「・・・センパイ?」
 なぜそこに彼らがいるのか状況を把握しきれていない遥斗は首を傾げている。その遥斗を見る3人の・・・いや、母親も含めた4人の表情は十人十色・・・といったところだろう。子どもたちの現状を少し面白がっている母親。遥斗の今の状態に同情してしまっている守。口をポカンと開けて顔を真っ赤にしている明日香。そして・・・思考がぶっ飛んで明日香と遥斗のデート場面を思い浮かべている七海。

「ダブルデートしたいね」

 七海の空気を読まない言葉が、宙に舞った・・・。




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