『誰が一番不幸か考えると』




 とてもいいことがあった。親友の明日香ちゃんに、いい人が見つかったんだ。年下で、蒼太お兄ちゃんには敵わないけど、明日香ちゃんを守ろうとしてくれた子。明日香ちゃんとその子がくっ付いてくれたら、私はきっと自分の事のように大喜びするに違いない。


「ね、明日香ちゃん。やっぱり無理やり聞き出してみようよ」
 七海は自分の席で俯いている明日香に聞いた。明日香はそれを聞くと、ゆっくり顔を上げた。
「・・・ナナ、そんなことよりも、中間テストの調子はどうだったの?」
 そう、実は今日は中間テストがあったのだ。受験生の彼女たちにとっては、内申書にも響く重要なイベントといっても過言でない。しかし七海はそんな大事なイベントを「そんなことどうでもいいよ」と一蹴した。
「私はそんなことより、明日香ちゃんの方が大事だよ!」
「・・・そう言ってくれるのは嬉しいんだけど・・・時と場合を考えなさい」
 明日香は溜息をつき、テストの見直し行っている。彼女自身、冷静を装っているが内心はそのことが頭に張り付いて離れない。中間テスト前日だという昨夜も、そればかりを考えてちっとも勉強に集中できなかった。だからそのせいで今回のテストはいろんな意味で危ういのだ。とはいっても、目の前で今の現状に危機感を抱いていない七海よりは良い成績は残せるであろうが、それではどんぐりの背比べだ。呑気な彼女を見て、油断してはいけない。そうしっかりと考えてはいるが、自分も思春期の中にある女の子。ああいう出来事があれば意識しても仕方ないのかも知れない。
「林、大丈夫か?」
 守が帰宅の準備を終え、やけに難しい顔をしている明日香に話しかけてきた。
「・・・大丈夫じゃないわよ」
「うん、明日香ちゃんは遥斗クンのことで大変なんだよ」
「そっちじゃないわよ! ・・・テストは散々、これは入試で頑張るしかないわね」
 明日香はそう答えるが、2人には、特に七海にはその妙な嗅覚で見抜かれていたかもしれない。・・・そう、否定はしたが、『水橋遥斗』のことで大変なのも事実なのだ。
「・・・まぁ、いいわ。今日はすぐに帰って勉強するから」
 明日香は立ち上がり、すぐに何かを思いついたように七海に振り返った。「そうだ、ナナ。例の事件のこと、伏見センパイにお礼言っておいてくれない? 桐沢も一緒にね」
「・・・はぁ? 何でオレまで・・・」
「ストッパーよ。ナナが暴走したら絶対に防ぐこと」
「・・・それ、受験より難しくないか?」
 既に七海の暴走に関して理解している守にとって、それは難易度S級に匹敵する。その暴走を未然に防ぐよりも、受験の方が幾分か簡単だ。そう難しく考えている守に、七海の「私、暴走なんてしないよ?」という全く信用ならない言葉を無視し、少年少女は帰路についた。







 夏が終わったといっても、残暑はまだまだ残っている。もう9月も下旬に差しかかろうというのに、まだまだ暑さも残り、信じられないことにセミすら鳴いている。そういうセミの鳴き声を聴いていると、『温暖化』という単語が身に染みて浮かんでくる。このまま温暖化が進行すれば、次第に冬がなくなり、スキーやスノーボードといったウィンタースポーツも姿を消していくのかもしれない。・・・といっても、自分1人が何とかできるレベルではないのだが・・・。

「うまく逃げられたな」
 守は団地の中を登り、滴る汗を拭いながら言った。それを聞き、七海は「明日香ちゃんは恥ずかしがりやなんだよ」と笑った。それには確かに同意だ。林明日香は普段は強気だが、そっち方面になるととてつもなく弱気になる。それに比べ、七海の方はその真逆だ。普段大人しいくせに、暴走したら誰にも止めれらない愚行(?)に出る。対極通し気が合うのか知らないが、その間にいる自分はただの被害者だ。強気の明日香に押し付けられ、暴走する七海に振り回される。
「・・・一体どんなバツゲームだよ・・・」
 守は肩を落とし、小さく呟いた。
「あ、ここがお兄ちゃんの家だよ」
「ん・・・ああ、ここか・・・」
 2人は家の前で止まり、蒼太が住む家を見上げた。「・・・それにしても、岩戸が『お兄ちゃん』っていうから兄妹かと思ってたが、違ったんだな」
 守はインターホンを押した。するとすぐに玄関口から蒼太が顔を出した。蒼太は2人の顔を確認すると、笑顔で駆け寄ってきた。
「や、ボクも丁度会いたいと思っていたところなんだ」
「・・・え・・・それって・・・」
 蒼太のその言葉に、早くも七海が暴走の兆しを見せ始めている。それに気付き、守が慌てて2人の間に割って入った。
「あ、それってあの事件のことですよね?」
「うん、そうだよ。一応ボクができることはやったつもりなんだけど・・・妙なことにはなってないかな?」
 案の定、七海の早とちりだった。守は予想していたが、蒼太を前にした七海はほんの僅かな衝撃で爆発する危険物のようだ。背後で受ける七海のオーラをその身に受け、悪寒さえ感じる。なんとかそれに気付かないフリをし、守は慌てて蒼太の言葉に答えた。
「え、ええ大丈夫そうです」
 強いて言うならば、今現在が妙なことになりそうだ。「あの・・・とにかくあの時は助かりました。伏見・・・先輩のおかげで林も、後輩の水橋も普通に学校に来ることができました。渡辺は当分自宅謹慎中なので、しばらくは大丈夫だと思います」
「自宅謹慎・・・か。問題はその後だろうね。今は自分たちを陥れた人物に狙いを向けているだろうけど、それが見つからなければ再びその後輩クンにムシャクシャした気持ちをぶつけてくる事になる。・・・まぁ、その件はボクが何とかしておくから、君たちは安心してくれていいよ」
 蒼太は微笑んで守の頭に手を置いた。「今は受験で忙しいだろう? そっちに専念して、問題ごとは任せてくれ」
「あ・・・はい、ありがとうございます・・・」
 蒼太の言葉や態度を見ていると、本当に何とかしてくれるような気になる。優しいし、頼りになるし、七海が気に入るのも無理はないかもしれない・・・と、そう思って後ろを振り返ると、すごい形相でこっちを睨んでいる七海が立っていた。
「な・・・何だ?」
「・・・別に・・・」
 七海の不機嫌な表情を見て、守はすぐに理解した。自分は蒼太に頭を撫でられてしまっている。彼女はどうやらそれが気に入らないようだ。「なんで守だけ」とでも思っているのだろう。それに気付き、守は苦笑した。
「あ、あの、センパイ。取り合えずお礼を言いたかっただけなので・・・今日はこれで失礼します」
「そっか、分かった。受験、頑張ってね」
 蒼太は七海に視線を移し、「合格したら、ちゃんとお祝いしてあげるからね」と付け加えた。その一言だけで、七海の表情が変わった。すぐに不満そうな表情は消え、恥ずかしながらも嬉しそうな表情が浮かび上がってきた。
「・・・あ、うん・・・私・・・頑張る・・・」
 七海は視線を落とし、恥ずかしそうにゆっくりと顔を上げた。「あの・・・もし受かったら・・・プレゼント・・・欲しいな・・・」
「プレゼント? う〜ん・・・あまり高価なものは難しいけど、一応聞いてみようかな? 何が欲しいの?」
「・・・それは・・・」
 ゆっくりと右手を蒼太に向けようとする七海を見て、守はその右手が行おうとしている事態に気付き、慌ててその右手を掴んだ。
「あ、センパイ。ボクたちはまだ明日もテストがあるので、今日のところはこれで失礼します」
 それだけ蒼太に伝えると、守は七海の手を掴んだ状態で一目散に走った。そしてすぐに団地を抜け、駅の付近までやってきた。
 あのままいけば、「お兄ちゃんが欲しい」と指でも差していたのだろう。それは自分にとってはどうでもいいことだが、その事態を招いて妙なイザコザに巻き込まれるのはご免被る。それにその事態までに発展してしまっては、明日香のお怒りを受けるのは目に見えている。本当に・・・厄介な立場だ。
 七海の顔を見ると、案の定不満そうな表情を浮かべてこっちを睨んでいる。
「・・・そう睨むなよ」
「・・・バカ」
「あ〜・・・何とでも言ってくれ」
「バカバカバカバカ・・・カバ!」
 カバが果たして罵り文句になるのか分からないが、そんな七海の罵倒を無視して、一杯の溜息をついてしまった。




「・・・母親に心情を激白された水橋も可哀想だが、この立ち位置にいるオレの方が絶対可哀想だよな・・・」
 守は自分の不幸な現状に半ば諦め、後ろでカバだかバカだか叫ぶ七海を一瞥し、帰って行った。






『誰が一番不幸か考えると』 完
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