『林明日香恋愛大作戦(仮』

 推薦入試も間近に迫り、ほとんどの受験生がラストスパートをかけている秋。
「やっぱり秋といったら恋愛の秋だよね」
 七海はポツリとそう呟いた。『読書の秋・スポーツの秋・食欲の秋』というフレーズはよく耳にするが、恋愛の秋というのは初耳だ。最も七海にとっては恋愛に季節は関係なく、年がら年中ピンク色である。
 空を見上げて何やら考えている七海を横目に、明日香はそれを無視して勉強に勤しんでいる。明日香のこの姿が本来の受験生の姿であろう。しかし傍で明日香が勉強を続けていても、七海は勉強していないことについて少しも危機感を抱いていない。これはある意味尊敬に値する。
「あの・・・先輩」
 しばらく図書館で勉強をしていると、明日香は後ろから声をかけられた。明日香が振り向くとそこには、1学年年下の男子が立っていた。その彼の姿を見て、明日香は「あら、水橋クン」と笑顔を向けた。その声を聞き、七海も水橋の姿を確認した。
「・・・えっと・・・どこかで見たことあるんだけど・・・」
「はぁ・・・ナナ、たまには先輩以外の名前も覚えなさいよ」
 明日香は溜息混じりに苦笑した。「彼は水橋遥斗クン。ほら、陸上部の後輩よ。男子の部にいたでしょう?」
 一応聞いてみたが、案の定七海は彼を覚えていなかった。やはり守と同様、蒼太以外の男には興味がないのだろう。このままでは、次に顔を合わせても名前を忘れていそうだ。
「それで水橋クンは私に何か用なの?」
 明日香は再び水橋に向き合って聞いた。水橋遥斗は自分たちと同じ陸上部であったが、記録を残せた自分と違ってタイムに伸び悩んでいた姿が印象に残っている。体も小さい方だし、男子にこう言うのも悪いのだが『可愛い系』に属する。彼は陸上部女子の癒し系存在でもあった。水橋は視線を落としながら、チラチラと七海の方を気にしている。それを見て、明日香は何か嫌な予感がした。
 七海は性格とは裏腹に、なかなか可愛い顔立ちをしている。見た目だけなら美少女と呼ばれてもおかしくない。事実、部では男子たちにかなり人気があった。もしやこの水橋も彼女に気があるのでは・・・と察知した。もしそうなのだとすると、水橋には酷だが諦めてもらうよ仕様がない。彼女には蒼太以外見えていないのだから・・・。
「あ〜・・・取り合えず話づらいこと・・・なの?」
「あの・・・はい・・・」
 水橋は照れてコクリと肯いた。そういう可愛らしい姿を見せられて、明日香は不意にドキリとさせられてしまった。部の女子がキャーキャー騒いでいた理由も今ならわかる気がする。しかし何とか冷静を保って話を続けた。
「それじゃ今日はもう遅いし、勉強はこれで終わりにしましょう」
「うん、勉強終わり。疲れたね〜・・・」
「あんたは勉強してないでしょ」
「したよ。頭の中でずっと考えてたもん」
「どうせ先輩のことでしょう」
 七海の考えそうなことはもう理解している。「それじゃ水橋クン、話って何かな? ナナだけの方がいい・・・のかな?」
 水橋が七海に告白などしても、結果は分かりきっている。しかし人の告白を止める権利など、自分にはないのだろう。蒼太以外の男は眼中にない七海にとって、水橋が告白しても振られることは答えを聞くまでもない。ならばせめてショックを受けた彼を私が慰めてあげよう・・・と考えていると、水橋は首を横に振った。
「いえ・・・林先輩にお話が・・・」
「私に?」
 明日香はキョトンと首を傾げた。その姿を見て、水橋は更に視線を地面に落とした。かなり話しづらい内容のようだ。目の前の水橋の尋常ならざる様子を見ていて、明日香はある予感めいたものを感じていた。
(・・・まさか、こんなところで告白・・・じゃないでしょうね?)
 自分がこの水橋に気に入られている理由はどこにもないが、恥ずかしそうにしている水橋を前にして、そういう雰囲気を明日香は感じ取った。しかしそれでも自分の自意識過剰のように感じてしまったことも確かだ。
 水橋はゆっくりと口を動かす。
「あの・・・ボク、林先輩のこと・・・」
「待って!」
 明日香は慌てて彼の次の言葉を防いだ。「ほら、今日はもう遅いし・・・また聞くことにするわ。それもでいいかしら?」
 何とかそれとなく冷静を装っているが、内心ドキドキものだった。『初めての告白』されるというシーンに、七海ではないが不覚にもときめきそうになってしまった。明日香は苦笑いを浮かべながら水橋の様子を窺った。告白を未然に防がれ、ひょっとすると嫌な気持ちにさせてしまったのではと思ったが水橋は可愛い笑顔を向けてくれていた。
「・・・はい、先輩がその方がいいのならそうします・・・。その・・・失礼します」
 水橋はそう言って頭を下げると、そそくさと図書室を出て行った。
 ・・・まだ、胸のドキドキが止まらない。

 私はそれほど鈍くない。
お兄ちゃん以外の人になかなか興味をもてないことは真実だけれど、それでも人が考えていることくらいは何となく予想がつく。きっと明日香ちゃんは私が気付いていないと思っているのだろう。帰り道、図書に現れた後輩の話題を不自然に逸らそうとしていたことからもわかる。
「明日香ちゃん、羨ましいんだよ?」
 翌日、たまたまコンビニ近くで出会った守に七海はそう呟いた。守はコンビニに勉強後のお菓子を買いにきたつもりなのだが、目的地の100メートル手前で通行止めをくらい、不機嫌だ。
「・・・羨ましいか。でもそれオレには関係ないだろ。いい加減コンビニ行かせてくれよ」
「行っても今日はお兄ちゃんいないよ?」
「何でオレがお前の兄ちゃん目当てでコンビニに通うんだよ! 菓子でも買おうと思ってさ」
「それでその後輩クン、絶対明日香ちゃんに気があると思うの」
「聞け」
 守の理由など、七海にはどうでも良いようだ。いきなり脈絡もなく話が元に戻る。しかしそれでも守はもう半分諦めていた。この七海が生み出す『七海ワールド』に巻き込まれてしまっては、脱出は非常に困難だということを実感しているのかもしれない。
「私、明日香ちゃんのために一肌脱いだ方がいいと思うんだ。ね、守もそう思うでしょ?」
「まぁ、お前たちは2人は親友だしな。それくらいしてもバチは当たらないと思うぞ」
「うん、やっぱりそうだよね。じゃ、お願いね」
「・・・ん?」
 守は顔をしかめて首を傾げた。どうも七海の言う言葉は理解しづらい。しかし、嫌な予感が脳裏を過ぎる。「・・・まさか、オレが一肌脱がされるのか?」
 それを聞き、七海は「当然だよ」とでも言わんにばかりに肯いている。なぜ関係のない自分がそこまでつき合わされるのか納得できないものがあるが、七海ワールドへ足を踏み入れたことへの後悔の念を今更ながらに激しく抱いた。なぜ自分は菓子を買いに来てしまったのだろうか、なぜ自分はこのコンビニを選んでしまったのだろうか。守の不幸は、七海と出会ってしまったことに他ならない。
「私が色々計画立ててみるから、守は実行してね」
「・・・おい、待て。100歩譲って協力するとしよう。でもオレが動くよりお前が動いた方がいいと思うぞ。親友なんだろ?」
「ん〜・・・親友だからこそ表立って協力できないってこともあるんだよ。全く、守はわかってないな〜」
「・・・お前にバカにされると非常に不愉快になるんだが・・・」
「それじゃ私、今から家で計画書つくってくる。守もお願いね」
 どうやら何を言っても自分の立場が好転することはないようだ。守は諦めて了承した。
「それで、その後輩って名前何ていうんだ?」
 あまりにも理不尽に協力者に組み込まれたが、相手の素性もわからなければ対策の仕様がない。しかし七海は首を傾げる。
「わかんない」
「・・・学年は?」
「わかんない」
「部活は?」
「わかんない」
「おい、ふざけんな」
 どうにかして動こうにも、相手のことが何ひとつ分からないのでは結局動きようがない。この状態でよく「一肌脱ぐ」と言えたものだ。いや、脱がされるのは自分か・・・。
「それじゃ、特徴だけ教えてくれ。何の情報もないよりはマシだろ」
「特徴? ん〜そうだな・・・。あ、そうだ」
 七海は手を叩いてみせた。「ホワ〜ンとして、それでハニャ〜ンって感じだよ」
「ホワ〜ンとハニャ〜ン・・・」
 守はその言葉を反芻して呟いた。しかしこれではあまりにも漠然とし過ぎていて、何もわからないのと変わらない。そもそも、七海が人の恋沙汰に干渉すると言うこと自体間違っているような気がしてきた。何せ情報が「ホワ〜ンとハニャ〜ン」のみ。これでその人物が特定できる優秀な捜査官が実在するのなら、是非とも協力を仰ぎたい気分だ。
「つまり何も情報がないってことか」
「ううん。だからホワ〜ンとしてハニャ〜ンだよ」
「いや、それじゃ誰もわからんだろ。大体何だ、そのホワ〜ンとか」
「だからホワ〜ンはホワ〜ンだよ。ハニャ〜ンもハニャ〜ンだし」
 早くも挫けそうだ。
『林明日香恋愛大作戦(仮』と称された作戦は、七海の不安がたくさん残る計画と共に翌日決行されることとなった。七海が考える計画では、今から結果が目に見える。しかしやる気十分の七海を前にして、守は溜息混じりに肩を落とした。ただただ、余計面倒なことにならないように願うばかりであった。

『林明日香恋愛大作戦(仮』 完
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