『約束』

 イーサンの自宅に、そうそうたるメンツが揃っていた。
「皆、よく来てくれた。2日後、私たちはグランドホスピタルを占拠する。そのためにも、皆の力を借りたい」
 クロードはこの場に集まってくれた同志に感謝の辞を述べた。イーサンの急な要望により、十分な施設が揃っているグランドホスピタルで手術を行うこととなったのだ。しかし、彼は無免許医。頼み込んでどうこうできるものではない。そこで、手術室を乗っ取る事になった。無論、ただでは済まない。ここはアメリカだ。そんなことを仕出かしたら、特殊部隊を送り込まれる可能性が十分にある。さすがにそれらを相手にするにはクロードや渡瀬、ソニードたちだけでは荷が重い。そこで渡瀬の人脈を使い、様々な仲間を揃えてもらったのだ。
 こうして、着実に準備が整っていた。
「おう、アルマ。坊主たちは今何してるんだ?」
「・・・大事な話があるそうです」
 アルマはそう言って苦笑した。

「涼子、瞬が来ましたよ」
 ルネはそう言って涼子に声をかけた。涼子はゆっくり目を開けると、自分を心配そうに見つめる九条の姿があった。「それでは、私は部屋の外にいます。何かあったら声をかけてくださいね」
 そう言って立ち上がり、2人をその場に残して部屋を出て行った。
 九条は涼子が寝ているベッドの近くに椅子を動かし、それに腰を下ろした。
「・・・話したいことがあるんだ」
「うん・・・私も」
 九条はゆっくりと息を整え、涼子の手を握った。
「涼子、医者のイーサンの診察結果を教えるよ。可能性は、ゼロではない」
 その九条の言葉を聞き、涼子は九条の手を握り返した。
「本当・・・?」
「ああ・・・。しかし・・・イーサンの話によると・・・成功率は6%ほどらしい・・・」
「・・・そっか」
 その絶望的な数字を聞いても、涼子は落ち込んだ様子を見せなかった。そのまま九条の眼を見つめて「ここにくるまではゼロだったから、それでも十分嬉しい数字だよ」と笑った。
「涼子・・・」
「ね、今度は私の話をきいてくれる?」
「? 何だ?」
「私たち、一度別れた方がいいと思うんだ」
 涼子はそう言って視線を落とした。「私は、助かるかわからない。だから、これはケジメ・・・。もし私が死んでしまっても、瞬君には前に進んで行って欲しいから。だから・・・お願い」
「な・・・何を言ってるんだ。助かるに決まってる。だからそんないらない心配をすることはない」
「ごめんね・・・でもこれは私がそうしたいの。私の最後のワガママだから・・・」
 それを聞き、九条は俯いて頭を抱えた。
「わかった・・・。だけど、お前のワガママはこれで最後だ。これから先の一生は、オレのワガママを聞いてもらうからな?」
 九条はそう言葉を投げかけると、涼子は何度も「うん、うん」と肯いている。
「ずっと・・・瞬君のワガママを聞いてあげるよ」
「だから・・・生きろよ」
「うん・・・皆も、瞬君と話したいって言ってる・・・」
「葵たちが? ・・・そうだな。あいつらにもちゃんと言っておかないとな」
 九条が肯くと、涼子は目蓋を閉じた。そして眼を開けて九条と手を握っていることに気付いて頬を赤く染めた。
「あ・・・瞬」
「葵か」
「ああ・・・。瞬、覚えてる? 私が最初に瞬に会ったときのこと・・・」
「もちろん。夜勤明けで帰ろうとした時に『邪魔だから』って現れて言ったよな。あの時は本当に混乱したよ。今思えば、あれから異常な日常になってしまったんだな」
「・・・はは。でも、瞬を信じて良かったよ。瞬は、私たちを救ってくれた。過去に囚われていた私たちの背中を、優しく押してくれた・・・。そのおかげで・・・私たちは前を向くことができたんだ。今だから言えるけど・・・瞬には本当に感謝してる・・・。何回礼を言っても、言い尽くせないくらい・・・」
 葵は眼に涙を溜めて語尾を震わせた。「私は・・・瞬に会えて良かった。心からそう思ってる」
「・・・オレもだ。オレは葵のおかげで、葵たちを救うことができたんだ。もし、葵がオレを信じずにいたら・・・オレは今でも平穏な日常を過ごしていただろう。葵たちの過去も知らず、ブラッドコブラの名さえ聞かず、クロードたちとも会えなかった。そして・・・こうして君たちを救う方法も考え付くことなく、ただ絶望に瀕していたのかもしれない。それは、やっぱり葵のおかげだ」
 葵は首を横に振った。
「ううん、違う。それは違うよ・・・。それは瞬が元々持っていた強さ。瞬だからこそ、ここまでできたんだ。私は・・・あなたに過去を打ち明けただけ・・・。瞬がその手で事件を解決し、そして私たちをここまで導いてくれた。瞬は私にとっての・・・希望の光だね」
「葵・・・」
 自分は、そんな大それた人間じゃない。ただ・・・遮二無二動いただけだ。『助けたい』というその一心で・・・。
「私は・・・ちょっと肩肘張って強がってたけど・・・今度瞬に会えたら・・・素直に瞬と接するよ。・・・ちょっと・・・甘えるかもしれないけど・・・」
「はは・・・。ああ、楽しみにしてるよ。そういう葵も、見てみたい」
「・・・ありがとう・・・瞬」
 葵はそう微笑んで目を閉じた。そして、再びゆっくりと眼を開ける。
 この眼を細めた感じ。これは、杏だ。
「・・・九条・・・瞬」
 そして、自分の手を握っている九条に気付いた。
「杏、こうして触れているが・・・今回だけは大目に見てくれよ?」
「うん・・・わかった」
 今回は九条も驚くほど素直だった。
「何だ・・・素直だな」
「私は・・・いつも素直だよ」
「そ・・・そうか? まぁ、そうことにしておくか。初めて杏に会ったときは驚かされたからな。まだ信頼してもらえなくて、『1メートル以上近づかないで』と言われたな」
 九条はそう呟いてその時の情景を思い出した。初めて水無月家に訪れた時、杏が初めて自分の前に現れた瞬間を・・・。
「でも・・・今は信頼してるから」
「そうなのか?」
「うん・・・。もし今度も会えたら・・・距離は30センチ」
「お、大分進歩したな。今でも50センチ以内にとか言われてるからな」
「・・・30センチ以上・・・離れないで」
「え?」
 その言葉に九条は驚いて杏の顔を見返した。杏は顔を背けているが、耳まで真っ赤になっているのがわかる。それを見て、九条は嬉しそうに彼女に「もちろんだ」と答えた。
「それじゃ、またね・・・」
 杏は振り向き、軽くニコッと笑って眼を閉じた。
 葵、そして杏ときた。となれば次にくるのは―。
「百花」
「瞬・・・。瞬には礼を言わなければいけませんね」
「礼?」
「ええ。私たちを助けてくれたことを。まさかあなたがここまでできる人だとは思っていませんでした。最初は頼りない人と思っていましたからね」
 百花はそう言って微笑んだ。確かに、百花が自分の前に現れたのは葵や杏に比べ、ずっと後だった。それだけ自分を信頼していなかったということだろうか。
「・・・百花は間違ってない。オレは・・・頼りない男だからな」
「そんなことはありません。私もちゃんと認識を改めました。ちょっとは頼りになる人・・・ですね」
「『ちょっと』ですか・・・」
 九条は苦笑してしまった。「手厳しいな」
「でもあなたは事件も解決し、この病態の件についてもここまでしてくれました。見直しました。お礼にまた勉強を見てあげないといけないですね」
「い・・・いや、それも嬉しいけど、なるべく違う方法にしてもらいたいな・・・」
「仕方ないですね・・・。それじゃ、私がつくった料理でも食べてくれますか?」
「ああ、それなら喜んで」
「毎日ですよ?」
「毎日? それって・・・」
 九条は素っ頓狂な声を出してしまった。『女性が毎日ご飯を作る』という言葉。それはやはり、遠まわしに、ある光景を連想させる。しかし、九条は恥ずかしくて『結婚』という単語を口に出すことを躊躇った。赤面している九条を見て、百花は楽しそうに微笑んでいる。
「約束しましたからね。瞬、その時を楽しみにしていますね」
「あ・・・ああ。わかった」
 百花はその言葉を聞くと、安心したように眼を閉じた。そして、しばらくそのままの状態で彼女は口を動かした。
「・・・瞬君」
「涼子?」
「私、皆が瞬君と話してる間ずっと思い出してた。瞬君と最初に会ってから・・・たくさんのことがあったね」
「ああ、そうだな」
 九条はそれを思い出すように天井を見上げた。あの日、商店街に足を運んだ日、不運にも涼子から一方的にやられた場面を思い出した。
「あの時の瞬君、コーヒー臭かったよ」
「お前のせいだろ」
 だけど、その時の涼子の運動音痴のおかげで自分たちは出会うことができた。いや、正確には出遭うが正しいのかもしれない。もし、自分が今の大学を選んでいなかったら。もし、もうバイトを決めていたら。そして、あの時涼子のドジが無ければ・・・今のような関係になることはなかっただろう。涼子と出会うことなく、今も適当にバイトをして、適当に将来のことを考えていたのかもしれない。それを思うとあの出会いの事故は最悪なものだったが、そうした出会いがあったからこそ今自分の隣にはこの人がいるのだ。
「今でも鮮明に覚えてる。セミナーで稲荷神社にも行ったね」
「そういえば・・・涼子の願い事聞いてなかったな。今でも教えてもらえないのかな?」
「・・・いいよ」
 涼子は軽く微笑むと「私の残りの時間、今一緒にいる人といつまでもいれらますように」と教えてくれた。
「それは・・・つまりその時から・・・」
「うん、そうだね・・・。その時から好きになってたんだね。残りの時間、一緒にいられたかな?」
「・・・それはまだわからないよ。人生は長いんだ。オレにも、涼子にも・・・後60年は様子をみないと、願いが叶ったかどうかなんてわからない。そうだろ?」
 その九条の言葉を聞き、涼子はゆっくりと起き上がった。
「うん。絶対私の願い事は叶うね」
「ああ、そうだな。それを知るためにも、涼子はこれから先の世界を見ていかないといけないんだ。涼子はこれから先、何をしたい?」
「私は・・・もっとたくさんの風景を見て、たくさんの絵を描いていきたい。たくさんの国に行って、たくさんのことを知って・・・好きな人と、もっとたくさんの思い出を作っていきたい・・・」
 涼子はそっと目を細めた。しかし、急に倒れそうになり、九条は慌てて涼子を支えた。
「大丈夫か?」
 自分の腕の中で寄り添う状態になっている涼子に聞くが、涼子は九条の顔を見てニコニコと笑っている。「お前・・・まさか」
「うん、わざと」
「はぁ・・・お前な・・・余計な心配させるなよ」
「うん、反省してる」
 涼子は九条の腕の中で相槌を打っているが、本心は怪しいものだ。「セミナーでトロッコにも舟にも乗ったね」
「・・・ああ。ちゃんとその時の写真も部屋に飾ってあるよ」
「ナナちゃんに案内もしてもらったね・・・」
「ああ。また京都にも行こうな」
「うん、その時はまた案内頼もうね」
「ああ」
 それから2人の会話は途切れた。会話のネタが途切れた訳ではない。その楽しかった情景を思い出しているのだ。1分ほどして、九条が会話を続けた。
「そういえば、あの事件の後だったな」
「ん?」
「涼子から、『九条君』ではなく『瞬君』と呼ばれるようになったのは・・・。最初はちょっとくすぐったい気持ちだったが」
「そう? 私は嬉しかったよ。瞬君に『涼子』って呼ばれるようになって。だって・・・それだけ親しくなれたってことでしょう?」
「・・・そうだな」
「・・・瞬君。・・・ありがとう」
 涼子は急に頭を九条の胸に押し付け、礼を言った。「私、瞬君に会えて本当に幸せだった。5ヶ月っていう短い時間だったけど、私の人生の中で一番幸せな時間だったよ。瞬君は・・・私から苦しみを取り除いてくれた。そして、代わりに幸せをくれた。それは・・・涙が出るほど嬉しい幸せを・・・」
 涼子は身体を震わせている。「泣いている」と九条は気付き、自分の腕の中にいる涼子を優しい眼で見つめた。
「・・・瞬君は、孤独の中にいた私たちに・・・暖かな温もりをくれた。本当に・・・ありがとう」
 涼子は何度も「ありがとう、ありがとう」と呟いている。
「オレも・・・涼子にお礼を言わないといけない。オレは・・・お前と会えたおかげで、本当に大切なものを知った。本当の強さを知った。涼子を・・・想うだけで・・・オレは強くなれるんだ」
「瞬君・・・」
「涼子・・・これからも生きてほしい」
 そう強く言い放った九条の言葉を聞き、涼子は顔を上げた。「オレは、涼子が好きだから・・・」
 九条は涼子の顔を見つめ、ゆっくりと顔を近づけた。2人の顔がどんどんと近づき、涼子は九条の背中に手を伸ばした。
 そして、2人の唇が触れた。
 2人の鼓動が、少しずつ高まっていくのを互いに感じていた。
 そして、ゆっくりと顔を離した。
「・・・瞬君?」
「涼子の病気が治ったら・・・オレはお前を迎えにいく。だから、涼子は待ってて欲しい」
「・・・うん。私、瞬君が迎えに来るのをずっと待ってる・・・」
 2人は再び抱き合った。
 これは・・・最後の別れじゃない。再び会うための、ほんの一時の別れ。
 必ず・・・迎えに行くから・・・―

『約束』 完
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