『1億5000万ドル』

「Manager!」
 タキシードを着こなした男が、慌てて支配人の元へ駆けた。「また、例の客が・・・」
 その男の反応を見て、支配人は頭を抱えてため息をついた。
「・・・またか」
 その瞬間、奥から歓声が湧いた。支配人がその場に赴いて野次馬を掻き分けて入ると、その例の客は高笑いして大量のチップを手元に置いた。支配人に気付いたのか、その客は立ち上がって支配人の前に立った。
「おう、今日も楽しませてもらっているぜ。支配人さんよ」
「Mr.イーサン・・・。今日は一体どれくらい勝っているのですか?」
「そうだな、今のところは14億といったところか。さすがベガス。まさに夢の町だよ」
 イーサンと呼ばれた男はそう言うと再び椅子へ座った。「もう一度だ」
 イーサンはポーカーをしていた。手元に5枚のカードが配られ、イーサンはそのカードを確認する。手元にきたカードは、クローバーの8、クローバーの9、ハートの2、ハートのジャック、ダイヤのAだった。
「レイズ」
 イーサンは更に5枚チップを上乗せし、他のプレイヤーもコールした。「3枚チェンジ」
 ハートの2、ハートのジャック、ダイヤのAを捨て、3枚のカードを受け取ると、その内容を見もせずにテーブルに裏のまま広げた。
 そして再びレイズし、更に10枚チップを上乗せした。
「Mr.イーサン。手札を確認せずに勝負でよろしいのですか?」
「いいのさ、支配人。オレはこれで勝負する」
 そしてイーサンは手札を公開した。そこにはなんと、ストレートフラッシュの役が揃っている。クローバーの6、7、10が偶然にも入ってきていたのだ。その勝負も、またイーサンの勝ちだった。
「ははは、またオレの勝ちだ」
 手元にあるチップは山のように高く積み上げられてゆく。それを見て支配人はいつも貧血を起こしそうになる。この客は毎日やってきて、嘘のように毎日バカ勝ちして帰っていく。これでは溜まったものではない。
「・・・イーサン」
 支配人がその声に気付いて、彼の方に目を向けると、そこには2メートル近い大男が立っていた。「遊びはそこまででいいだろう。さっさと来い」
「あぁ! 今から良いところなんだぜ? 邪魔するなよ」
「・・・そろそろあいつ等もこちらに到着する。さっさと帰らんと力ずくで引きずっていくぞ」
「ち! わかったよ。おう、このチップ全部換金してくれ」
 イーサンは目の前に山のように積まれたチップを渡すと、自分の背後にいる大男、クロードに振り返った。「お前がそこまでしようとするなんて、珍しいな。患者のことを相当気に入っているようだな」
「ああ、面白い奴らだ。あいつ等のためなら、再びこの世界に入るのも悪くない」
「・・・本当にお前は変わったな。20年前とは別人だ。オレも何度お前に殺されかけたことか」
「フン・・・。そんな昔語りをしにきた訳じゃない。行くぞ」
 クロードはさっと翻し、店を出て行った。それを見てイーサンも金を受け取り、後を追った。
 クロードとイーサンはラスベガスのストリップ大通りを抜け、近くにあるイーサンの家へと入った。
「じゃあ後は頼む」
「おい、ミッシェル。もう帰るのか? 久しぶりに会ったんだ。一杯飲んでけよ」
「私は用事があるのでな。失礼する」
 クロードはそれだけ言うと戸を開けて出て行ってしまった。
ち! つまらん奴だ。
 イーサンはグラスにワインボトルを開け、一気に飲み干した。
「・・・来たか」
 イーサンがそう感じた直後に、インターホンが鳴った。イーサンは「開いてる。勝手に入って来い」とだけ言うと、再び喉を潤した。「・・・4人か」
 戸が開けられ、部屋に来客者はやってきた。若い青年が一人。その青年に抱きかかえられている女が一人。そして・・・。
「お前たちは見たことあるな。日本にいるワタセという奴に飼われているやつだったな?」
 その言葉に、ルネは反論した。
「私たちは自分たちの意志で渡瀬の下にいます。飼われている訳ではありません」
「まぁ・・・そんなことはどっちもでいいがな。それで、お前がシュンか」
 イーサンは青年の顔を覗き込んだ。「お前みたいなガキが、本当にブラッドコブラを潰したのか? どうも信じられんが・・・」
 目の前の青年は、どこからどう見てもただの一般人だ。裏の世界にいて、多くのプロを見てきたが、彼らのようなオーラを目の前の九条からは全く感じられなかった。
「あの・・・そんなことより、涼子を、この子を診てあげてください」
 九条は首を振って、そう叫んだ。「あなたなら治せるのですか?」
「・・・そこのベットに寝かせな」
 イーサンは顎で奥にあるベットを指した。九条は言われたとおり、すぐにそこまで駆けて涼子を寝かせた。
「瞬君・・・ごめんね」
「いや、気にするな。お前はここまで来るのに疲れたんだ。少し休め」
「うん・・・ありがとう・・・」
 涼子はそう礼を言うと、目を閉じて眠りについた。
「・・・寝たか?」
「はい」
 それを確認すると、イーサンは再びワインを飲み干した。
「それじゃ、今から診断結果を伝える。散らかっているが、その辺に適当に座れ」
 イーサンにそう言われ、九条は空になったたくさんの酒瓶をどかして椅子に座った。アルマとルネはイーサンの言葉を無視したのか、それともこんな汚い場所に座りたくないのか、その場で立ったままだ。それは恐らく後者だと思われる。
「カルテを見させてもらった。体の各臓器の働きが低下しているな。おっと、骨髄にも異常が見られている。こんな状態でよく今まで生きながらえてきたもんだ」
 九条が睨んできたのに気付いて、イーサンは笑って紡いだ。「おっと、怒るな。別に変な意味じゃない。ただ、それだけ重症だってことだ。確かに、これじゃ治らんだろうな。移植手術を受けるにしても、計15回はメスを入れることになる。だが時間もないし、それだけの手術に耐えれる体力も残っていない。絶望的だな」
「何とも・・・ならないんですか?」
 悲痛な表情を浮かべて九条は俯いている。「助かる方法は・・・無いんですか?」
 イーサンは再び目の前の青年の全身を見定めた。
「お前は、この患者の何だ?」
「え・・・?」
「お前にとってはこの患者はただの他人だろう。日本からわざわざこんな異国の地にまで一緒に足を運んで、何かメリットでもあんのか?」
「そんなのは考えたこともありません。ただ、生きて欲しいんです」
 イーサンは新しい酒瓶の蓋を開けると、そのまま一気に飲んだ。
「・・・変わった奴だ。まぁ、いい。この患者、オレなら治せないこともない」
「本当ですか!?」
 九条は勢いよく立ち上がった。「お願いします!」
「待ちな。だがこれは患者の体力も大切だし、術後の合併症が現れんとも限らん。手術の成功率は良くて6%。無事終了しても、その後何年生きられるかもわからんのだ」
「・・・6%・・・」
 九条はその言葉を反芻して呟いた。それは明らかに絶望的な数字だ。しかし、このままでは確実に死が迫るだけなのも確かなのだ。
「そして、お前には治療費として1億5000万ドルを払ってもらおうか」
「1億5000万ドル?」
「ああ。この手術が成功しても失敗しても、その金額は払ってもらう」
「冗談じゃない!」
 九条ではなく、アルマが叫んでイーサンの前に立ちはだかった。「そんな大金を要求するなんて、ふざけている!」
「おいおい、オレは慈善事業で医者をやってる訳じゃないんだ。別にいいんだぜ? オレは別にこの患者が死のうが生きようが関係ない」
 アルマは歯をむき出し、銃口をイーサンの額に突きつけた。
「お前は最低な人間だ。・・・死にたくなければ言うとおりしろ」
「はっ! お前にオレは殺せんよ。殺したらこのガキの唯一の光を奪うことになるんだからな」
「アルマ、引いてくれ」
「・・・九条?」
 九条は立ち上がってアルマが持っている拳銃を下げた。
「いいんだ。気持ちは嬉しいけど、ここはオレの言うとおりにしてくれ」
 九条にそう言われ、アルマは横目でイーサンを睨みつけ、拳銃を懐に入れた。「イーサン・・・と言いましたよね? わかりました。1億5000万ドル払います。何年かけてでも、確実に払います。ですから、あの人を・・・お願いします」
 九条は語尾を強め、座り込んで地べたに頭が付くほど頼み込んだ。
(・・・何だ、こいつは・・・。)
 それがイーサンの感情だった。1億5000万ドルというと、普通の人間が何回生まれ変わっても稼ぐことができない金額だ。それを、躊躇いもせずにこうも懇願してくるなんて、頭がおかしい。そう思った。この世界で何年も生きていると、他人の命など自分の身を犠牲にする価値すら感じ取ることができない。
「・・・これが、この青年なのです」
 自分の考えを読まれたのか、イーサンは驚いて離れて立っているルネの顔を睨んだ。
「・・・オレにはわからんな。シュン、お前は手術だけ成功させ、オレから逃げるつもりだろう? そうだ、そうに違いない」
「そんなことはしません。何年かけてでも、必ず払います」
 九条はそう言い放ってイーサンの顔を見据えた。
「・・・こいつは・・・!」
 その九条の瞳を見て、イーサンは初めてこの青年の強さを感じた気がした。この強い光を帯びた眼、それは過去に何度も見たプロの眼そのものだった。間違いない。こいつの覚悟は・・・本物だ。
「・・・いいだろう。もし払えないようなら、オレがお前を殺す。手術は3日後だ。それまで適当にしておけ」
 イーサンはそれだけ言うと、再び酒瓶を開けた。
「ありがとうございます・・・」
「いいから、もうどこかに行け。酒がまずくなる」
「行きましょう」
 ルネは「こんな不潔な場所にいられない」という理由で、涼子を連れて近くのホテルの部屋を借りることになった。丁度2部屋が空いており、そこを借りれることができた。
 九条とアルマ。涼子がルネが同じ部屋である。
「・・・本気か?」
 ベッドで横になっているアルマが聞いた。「1億5000万ドル。とても返せる額とは思えないが・・・」
 それを聞いて、九条は起き上がって窓から見える輝かしいネオンの光を見下ろした。
「・・・確かに、普通に働いていては絶対に返せませんね。ところで、アルマ。ちゃんと航空券代は返すから安心してほしい。18万でしたよね。あ、いや・・・涼子の分も合わせると36万か・・・」
「いや、別に構わんよ。渡瀬からも宜しく言われているからね」
「そういってもらえるのは嬉しいのですが・・・オレ自身納得できないので、ちゃんと返させていただきます」
 その九条の真面目さに、アルマは笑ってしまった。
「本当にお前は面白い。渡瀬の言ったとおりだ。あのブラッドコブラの事件でお前のことを聞いたのだが、やはり肝が据わっている。お前ならこの世界でもやっていけるよ」
「そう、そこです」
 九条はアルマの眼を見据えた。「オレはそれをアルマに聞こうと思ってました。1億5000万ドル。確かにこの大金は普通に働いていては返せる可能性はゼロです。では・・・あなたたちがいる世界ではどうですか? これは、絶対に返せない額ですか?」
 アルマは口をポカンと開けたまま、九条の顔を見た。一体この青年は何が言いたいのだろうか。しかしアルマはすぐに勘付き、頭を抱えた。
「・・・いや、方法にもよるが・・・返せない額ではない」
「やはりそうですか。安心しました」
「・・・どうするつもりだ?」
「・・・それは・・・その時になってから答えますよ。今は涼子のことで頭が一杯なので」
 九条はそう言うと、満面の笑みをアルマに向けた。

『1億5000万ドル』 完
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