『一緒に・・・』

 季節は夏。
蝉時雨が常に鳴り響き、アスファルトは焼けるような反射熱を照らしていた。
「・・・暑い」
 九条は扇風機の前で大量の風を受けていた。それを見て、涼子は呆れて扇風機を止めた。
「もう、瞬君だらしないよ」
「いや、暑いものは暑いんです。バイトができれば涼しいコンビニの中で涼むことができるけど・・・まだ仕事は禁止されてるから・・・」
 九条は自分の脚に軽く触れた。あの事件から、約1ヶ月が経っていた。痛みはひいて歩くことはできるが、走りまわったり、コンビニの店員のように長時間立つことは許されていない。
「もう・・・仕方ないなぁ。エアコンつけるよ」
 涼子は苦笑してスイッチを入れた。少しして、冷たい風が部屋を駆け巡った。「ほら、瞬君。手が進んでないよ?」
「あ、はい・・・」
 九条は涼子に促されてペンをとった。
「瞬君、その・・・私のせいで学校休んで授業遅れちゃってるからね・・・。あの時は私が助けてもらったけど、今度は私が瞬君を助ける番!」
 涼子は気合を入れて九条の隣に座った。「わかんないところがあったら聞いてね?」
「・・・それじゃ、この日本語のドイツ語訳を・・・」
「・・・えっと・・・百花、お願い」
 涼子は百花とチェンジし、表に百花が出てきた。「・・これはね『今日も一日暑いです』だから・・・Es ist den ganzen Tag lange heute heis。ちゃんと後で復習しておいてください」
「あの・・・涼子」
「私は百花ですよ?」
「ああ、わかってるよ。涼子は今どうしてる?」
「涼子は勉強が苦手ですからね。たぶん、この勉強中は出てきませんよ」
「・・・言うことは調子いいんだけどな」
 九条は苦笑してペンを走らせた。百花とは事件以前に顔を合わせていなかったが、事件後はこうして何度もお世話になっている。分からない問題も、彼女に聞けば大抵正解を答えてくれる。
 そう、あれからたくさんのことを知った。百花は頭の良い勉学家。この部屋の一角にある参考書は彼女の物だった。そして、意外にも葵がぬいぐるみのような可愛いファンシーを好んでいることも知った。最近は葵に対してもからかうタネができて退屈しない。
 夏の課題を終了させ、九条は疲れて横になった。
「はぁー・・・疲れた。百花、何も7月中に課題を全部終わらせる必要はないんじゃないか?」
「ダメです」
 百花は課題をきちんと揃え、九条のカバンにしまった。「こういうことは何事も早いうちにしないといけません。瞬には精神的な苦痛から助けていただきましたからね。そのお礼として・・・もっともっと勉強を教えてあげます」
「い、いや、気持ちだけで十分です」
 九条は慌てて顔の前で手を振った。お礼に勉強・・・。それは一体どこの国の拷問だろうか。最初は助かると思って頼っていたのだが、これがとんだスパルタ教育だった。18時間耐久レース・・・思い出すだけで頭から煙を吹きそうだ。
「涼子、終わりましたよ」
 百花がそう言うと、再び涼子が表に出てきた。「うん、瞬君。お疲れ様」
「ええ、疲れました。だからしばらく休ませてください」
「えー、それじゃ私がつまんないよ!」
 涼子はそう言って寝転がっている九条にのしかかった。「ほら、起きて」
「ちょ・・・何乗ってるんですか! 早く降りてください」
 九条が赤面して慌てていると、部屋の戸が開いた。そこにはあかりがお盆にのったお茶とお菓子を手に立っていた。
「あら」
「あの・・・これは、その・・・」
 九条が状況説明に窮していると、あかりは微笑んで部屋に入り、テーブルにそれらを置いた。
「ん〜・・・涼子。あまり九条さんを困らせないようにね?」
 どうやら説明をする必要も無く、察していてくれたようだ。「それじゃ、お邪魔虫は買い物にでも行って来るわね」
 あかりはそう言って楽しそうに手を振って部屋を出て行った。
「・・・行っちゃったね」
「・・・そうですね」
 九条ははっと気付いて涼子をどかした。「さ、準備してくれたお菓子でも頂きましょう」
「むぅー・・・」
 涼子は口を尖らせて九条の隣に座った。「瞬君の奥手」
「? 何か言いました?」
「別に」
 涼子は拗ねながらお菓子に手を伸ばす。その姿を見て、九条は呆れて笑った。
このまま不機嫌でいられても困るし、どうしようか・・・。
「涼子」
「ん・・・?」
「今度海でも行くか?」
「え?」
 涼子はパッと笑顔になり、九条に顔を近づけた。「うん、行く!」
 その一言で、涼子は機嫌を良くしてくれた。そして勢い良く立ち上がった。
「じゃあ、今から水着買いに行こうよ」
「今から?」
「うん、ほら」
 涼子は九条の腕を取り、引っ張った。
「別にいいけど・・・あまり長時間歩くのはつらいかもしれないな」
「そうなったら私が背負ってあげるよ」
「いや、頑張ります。リハビリは大切ですからね」
 九条は苦笑して立ち上がった。「さぁ、行きましょうか」

 ショッピングセンターに到着し、2人はさっそく目当ての店に向かった。
「ね、瞬君はどんな水着がいいと思う?」
「なんでもいいよ」
「やっぱり、せっかくだから瞬君がドキドキしちゃうやつがいいよね?」
「それじゃあ無難な水着で」
「うん、ビキニとかいいかな」
 全く話を聞こうとしないところは相変わらずだ。だがビキニはやめて欲しい。九条は隣を歩く涼子を見て、一番似合いそうな水着姿を思い浮かべた。しかし、どう美化しても彼女の見た目からスクール水着以外浮かばず、九条は笑ってしまった。
 店につくと、涼子はさっそく品定めをし始めた。
「ね、瞬君はどっちがいい?」
 涼子は厳選した2つの水着を手に、九条に聞いた。片方は布地が多く無難な水着。もう片方はビキニとはいかないが、結構肌を露出してしまいそうな水着だった。それを見て九条は悩むことなく無難な水着を指差した。
「これ? んー・・・まぁ瞬君がそう言うならこれにしよ!」
 涼子はその無難の水着を手に、レジへと走っていった。
「・・・それじゃ、オレも探すか」
 九条も新しい水着を探していると、会計を済ませた涼子が戻ってきた。
「ね、瞬君これ似合いそうだよ」
「ん?」
 九条は涼子が手にした水着を見て、貧血を起こしそうになった。「断る」
「でもこれを来た瞬君、見てみたいなぁ」
「あ、これにしよう。涼子、早くその女物の水着を置いてきなさい」
「んー・・・仕方ないなぁ。それじゃ着た姿を想像するだけで勘弁してあげる」
「それも勘弁してくれ」
 九条は脱力し、何とか会計を済ませた。

 家まで送ってくれた九条を見送り、涼子は目を細めて九条の後姿を見つめた。
「・・・言わないの?」
 涼子の背後で、あかりが聞いた。
「・・・うん。これ以上・・・心配させたくないから・・・」
 そう、あの人は優しいから。優しいからまた無茶をしてしまう。もう、自分のことであんな目に遭って欲しくないから・・・。「・・・だから・・・言わない」
 涼子はそっと涙を流した。その涙は頬を伝い、地を濡らす。
・・・あと1ヶ月だけ、あの人と一緒にいたい。時間の許す限り、一緒にいたい。
・・・そうすれば、もう後悔はない・・・。
「瞬君・・・」
 涼子はそう呟き、胸を押さえた。「・・・ごめんね」
 いつまでも、蝉時雨が鳴り響いていた・・・。

『一緒に・・・』 完
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