『希望』

 まさか・・・またこんなことになるなんて思ってもみなかった。
富士見谷は戸を開け、奥に横になっている青年を覗いた。青年はぐったりと倒れている。富士見谷はそれを見て、戸を閉め、項垂れた。
「隆盛。しっかり見張っておけ」
 高は銃を手にし、窓の外を見た。「一応、人気がない場所まできているが、ガキが逃げ出さないとも限らないからな」
「高・・・あの青年をどうするつもりだ」
「決まってる。マーケットに出せば幾らかの金になる。臓器売買など、買い手は腐るほどいるんだ。それにこんな国から人が一人消えたところで何の問題もあるまい?」
 高は不気味に舌なめずりをして、椅子に座った。
 ・・・自分は何でこんなやつらの言いなりになってしまっているのだろう。過去の過ちが、今でも悔やまれる。良司たちも・・・殺すつもりはなかったのに・・・。
「高・・・あの青年を見逃すことはできないのか?」
「・・・隆盛。あのガキを見逃せばオレたちがやったことを全てサツに伝えるだろう。そして事実が知られて困るのはお前も同じだ。それが分からんほどバカじゃないだろう」
 高は鋭い眼光で富士見谷を睨んだ。「お前はオレたち組織のおかげでいい夢を見れているんだ。オレたちにとってもお前はまだ利用価値がある。できることならこの先もずっと良い関係でいたいのだがな。そうだろう・・・隆盛」
 高はそう言って笑いながら部屋を出て行った。
 一人残された富士見谷は嗚咽を漏らした。・・・そう、全ては自分が弱いせいだ。そのせいで結果、良司たちを殺され、今もなお勇気ある青年が命を落とそうとしている。・・・このままで、いいのだろうか・・・。いや、いいはずがない。自分はともかく、あの青年だけは逃げ延びて欲しい・・・。
 ガタ−
 隣の部屋で物音が聞こえた。富士見谷はそっと戸を開けると、九条が目を覚まし、起き上がっていた。
「・・・目が覚めたか」
「! ・・・ああ、なるほど。予想はしてましたが、こういう状況ですか」
 九条はいきなり入ってきた富士見谷の姿を見て、驚きはしたが冷静になって苦笑した。「案の定、手足をロープで縛られていて動けない。拉致されたんですね。それで、今は何日で、ここはどこですか? 富士見谷さんの家とは違うようですが」
「今日は・・・17日だ。そしてここは富山県のある山の中だ。君は高に気絶させられ、ここに連れてこられた」
「・・・ん〜・・・。ここでオレを殺して埋めでもするんですか?」
「・・・いや・・・、高の話だと、中国の裏マーケットで臓器売買でもされるのだろう」
「・・・なるほど。バックには結構ヤバイのが潜んでいたんですね。それは想定外でした」
 富士見谷は呆気にとられて目の前の青年を見た。なぜこの青年はこうまで冷静でいられるのだろう。今は生きているとしても、このままでは確実に殺されてしまうというのに・・・。
「・・・君は恐くないのか?」
 富士見谷は疑問を九条にぶつけた。
「・・・どうでしょうね・・・」
 九条は微笑んだ。「全然恐くないってことはありませんが・・・覚悟はできてました。それにもう証拠品が届いた頃でしょう。この勝負はオレの勝ちですよ」
「・・・証拠品?」
「ええ。悪いとは思いましたが、あなたの家に盗聴器を置いてました。折り畳みの傘ありましたよね? あれがそうです。そして再びあなたから声をかけられて家に招かれたとき、これまたペン型の盗聴器をソファーの上に置いておきました。あの会話の一部始終がオレのカバンの中の受信機に記録されているはずです。そしてそれも昨日のうちにある人物の手に渡っていると思います。その人がそれを警察に届ければ、十分な証拠品となってあなたと高さんを拘束することは可能だと思いますよ。そしてどうやらここから中国へ向かうようですが、日本の警察もそこまでバカじゃない。今頃は空港から舟場まで手が廻っているでしょう」
 九条は動揺している富士見谷に対し、スラスラと話した。動揺している富士見谷、冷静な九条。これではどっちが拉致された人物かわかったものじゃない。
「・・・君はその証拠を確保するために、こんな危険なことを?」
「当然です。すでに事件が風化してしまっている今となっては、再び犯人側が動いてくれた方が証拠もあがるでしょう。そして犯人が動かないのなら、動かせばいい。あなた方はもう釣られた魚なんですよ」
「・・・中国に連れていくことができなくなっても、高の性格を考えると君は殺されるぞ? それでもいいのか?」
「・・・もう一矢報いました。いや、それ以上でしょう。それにまだ希望は捨てていませんよ。例えば、富士見谷さんがオレを逃がしてくれる・・・とかね」
「私が?」
「ええ。あの『雪の日』の絵で感じ取った富士見谷さんの心情が自分の考えている通りだとしたら、今もあなたは後悔しているはずです。贖罪の念に駆られているあなたなら、このまま死を待つオレに対してどうしますか?」
 ・・・この青年はどうかしている。富士見谷はそう感じた。こういう自分の死が近づいているというのに、なぜこの青年はこうも強く振舞うことができるのだろう。その九条の姿は、とても眩しく見えた。自分にもこんな輝きを放つ時代があったのだろうか。・・・そう、純粋に絵を描いていたあの頃。友人たちと一緒にいたあの頃、自分も信念をもっていた。しかし大人になるにつれ、金の誘惑に負け、果ては麻薬の魔力にも負けてしまった。そしてその代償にかけがえのない友人まで失ってしまった。
「・・・君は・・・いつまでも信念を貫き通しなさい」
 富士見谷は俯いて呟いた。この青年なら、自分のように間違うことはないだろう。そして、そのためにも生かさなければならない。「今、高は仲間と連絡をとっている。恐らく後5分以内に戻ってくるだろう。しかし、今この山小屋の外に6人の中国マフィアの連中が見張っている。逃げ出すのは・・・困難だぞ?」
「・・・まぁ、何とかしますよ」
 九条は微笑し、窓から差し込む月明かりを覗いた。

「是怎樣的事(どういうことだ)?」
 高は支部と連絡をとろうとしたが、全く反応がない。せっかくここまで来ているのだ。後は支部に連絡をし、船をよこさせる。それであのガキもお終いだ。なのになぜその支部と連絡がとれないのだ。
 高は近くの樹を蹴り、唾を吐き捨てた。
 しばらくノイズが続いたが、ようやく音声が届き始めた。
「這邊8號支部(こちら8番支部)」
「遲鈍間(のろま)! 做著什麼(何をしていた)?」
 高は怒鳴り散らした。「做買賣(商売をするぞ)!早點來迎接(早く迎えにこい)!」
「地方是(場所は)?」
 正確な位置を知らせ、ようやく高は安心して連絡を切り、タバコをふかした。全く支部の連中はのんきなものだ。
 高は山の麓から僅かに見える海を眺める。黒い空に黒い海。こういう闇に自分は惹かれる。今自分が『ブラッドコブラ』にいるのもそれが理由だろう。闇の世界が一番自由で、一番楽な生き方だ。富士見谷もそれをよくわかっている。それをちっともわかろうとしないあのガキや、過去の山本は、自分たちの糧となる。それが世の真理だ。
「あのガキも、大人しく小金を受け取って引き下がっていれば助かったのに、バカな奴だ」
 不意に、爆発音が響いた。高が慌てて爆音がした方に振り向くと、さきほどまで自分がいた山小屋が炎に包まれて燃えさかっている。
「な、何事だ!」
 高は驚いて山小屋に駆けて行った。「どういうことだ? あのガキが何かしでかしたのか?」
 山小屋に到着したものの、激しい炎に包まれて近づくこともできない。どうやら先ほどの爆発は、自分たちが乗ってきた自動車のガソリンに引火して発生したもののようだ。周囲に見張らせていた部下たちは、爆風に吹き飛ばされたのか少し離れた場所に皆倒れこんでいる。
 ・・・このままではまずい! この山火事を見て、近所の住民が消防などに連絡をしてしまう。この炎の中にはガキも、富士見谷もいる。ガキを中国の裏マーケットで捌けば証拠は挙がらないが、ここで死体で見つかるのはこちらにとって都合が悪い。この炎上した小屋の中で、手足を縛ったロープは燃えきってくれるだろうか。それが残っていると、証言に窮してしまう。
「くそ! なぜだ! なぜこんな事に!」
 高は消防のサイレンを聞き、急いで部下を叩き起こしてその場を走り去り、部下の車に乗ってその場を逃走した。

「・・・なんて無茶なことを・・・」
 富士見谷は木々の陰から顔を覗かせ、高たちの行方を目で追った。
「でも、うまくいったでしょう?」
 九条は楽しそうに笑った。「富士見谷さんが外の様子を見に行って、見張りに見つからないように車の中に火をつける。しばらく彼らの目を富士見谷さんが引き付け、一定時間待ったあとに彼らとその車を見に行く。燃えた車を見たら、当然ですが、皆注意がそちらに向きますからね。小屋から抜け出すのは簡単です。まぁ、彼らが慌てている間にガソリンに引火して、吹き飛ばしてくれるとは思いもよらぬ良い誤算でしたが・・・」
 そして九条は受信機を取り出した。
「やっぱり、備えあれば憂いなしってやつですね。靴下の裏に発信機と受信機を隠しておいて正解でした。どうやら携帯はとられてしまったようですが、これがあれば十分です」
「じゃ・・・さっきあの車につけてたのは・・・」
「ええ、発信機です。あとはこの受信機でやつらの居場所を特定できます。でも、これ高かったんですよ? この発信機で3万円。受信機で5万円。折り畳み傘の盗聴器で3万8千円。ペン型盗聴器で3万7千。録音可能受信機で2万ちょい・・・。バイト代が飛びましたよ」
 九条は苦笑した。今はパソコン一台あれば何でも揃う時代なのだろう。こうして実際に役立つとは思ってもいなかった。
「さて、富士見谷さん。行きましょう。今度はこちらが追い詰める番です」
 九条は立ち上がり、富士谷と共に山を降りていった。

 その光景に、涼子は驚いていた。
 クロードは片腕というハンデがあるにも関わらず、マフィアの放つ弾丸を一発も当たることなくやり過ごしていた。クロードが銃を構えると次の瞬間には相手が銃を落としている。
「ちぃ・・・! レディの前で人を殺すわけにはいかんよな」
「ミッシェル。お前も九条の無茶が伝染してるぞ」
 渡瀬は通路の壁を盾に、マフィアの弾丸を防いでクロードに悪態ついた。「まぁ、オレも同じ口だけどよ」
 渡瀬は銃弾の雨の合い間を縫って発砲する。彼らは個々の実力ではマフィアに勝っているが、これでは多勢に無勢である。このままではいつか弾も切れ、押し込まれるのも時間の問題だ。
「・・・渡瀬、私が突っ込む。援護を頼む」
「いや、待ちな。そろそろ時間だ」
 渡瀬が腕時計を覗くいて笑みを浮かべると、それと同時に相手側から爆発音が響いた。
「何だ?」
 クロードが銃声がしなくなった通りを覗き込むと、マフィアではない男女数名がそこに立っていた。渡瀬はそれを確認し、彼らに歩み寄った。
「有難てぇ! よくきてくれた」
「渡瀬の爺さんにはいつも世話になってるからな」
 その中の男が白い歯を見せて笑った。「お、あんたが悪魔・クロードか。会えて光栄だぜ」
「渡瀬、この連中は?」
 クロードは涼子を連れ、渡瀬に聞いた。
「ああ、ミッシェル。こいつらはこれでもプロだ。こうなることも想定して、予め応援に呼んでたのよ。これでこの支部を落とすのは訳ないぜ」
「ふ・・・さすが渡瀬だ。よし、もう一息だ。行くぞ!」
 クロードは彼らを連れ、再びマフィアが残る区域へと向かっていった。
 ・・・何分経っただろうか。火薬と血の臭いが漂い、通路ではマフィアが転がっている。一般人の涼子がいるから極力死者は出さぬようにと渡瀬が言っていたから、死んではいないだろうが・・・。彼らはついにその支部の戦力を全て奪い、占拠した。しかし、どこにも九条の姿はない。
「・・・九条君は・・・?」
 涼子は心配そうにクロードにすがる。
「・・・涼子、まだわからない。もしかしたら、この近くにいるかもしれない」
 クロードがそう答えたとき、その部屋からコール音が聞こえた。どうやらこの部屋は通信室も兼ねているようだ。あまり不用意に触れないほうが良いかもしれないと考えた。・・・が、渡瀬がすっとボタンを押した。
「! わ・・・」
 クロードが何か言おうとしたのを、渡瀬が手で遮った。
「這邊8號支部(こちら8番支部)」
 渡瀬は中国語で応答した。
「遲鈍間(のろま)! 做著什麼(何をしていた)?」
 通信機の向こうで中国人が何やら叫んでいる。中国人は場所を言い、すぐに迎えにこいとだけ伝えて通信を切った。
その様子を、クロードと渡瀬は互いに見合って笑った。
「間違いない。涼子から受け取ったレコーダーに入っていた・・・確か高といったな。奴の声だ」
 クロードは涼子の手をとった。「奴は間違いなく中国に戻ろうとしている。そして奴は商売をするといった。間違いなく裏マーケットのことだろう。涼子、九条はまだ生きているぞ」
「・・・本当に?」
「ああ! すぐに奴が教えてくれた場所に向かおう。渡瀬、そしてお前たちもいいな」
 クロードは向き直り、渡瀬たちの面々を見て微笑した。「場所は富山だ!」

『希望』 完

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