『Augmenter a action』

 クロードと東京の渡瀬の店を訪ねて1週間が経過した。
その後、クロードから連絡がない。こちらからも携帯にかけるのだが一向に繋がる気配を見せない。
九条は焦っていた。凶器について調べれば、犯人に繋がるかもしれないのに・・・と。しかし、クロードと連絡がとれずに捜査はストップしてしまっている。クロードと会ったのは半日足らずだが、無責任に放り出す様な人物ではないと九条は感じている。彼にも何か連絡がとれない理由があるのかもしれない。クロードから連絡があるまで、違う論点で調べておいた方がいいかもしれない・・・。
 九条は大学の屋上で横になって空を眺めた。梅雨の時季にしては珍しく快晴となっている。しかし妙に蒸し暑くて不愉快だ。それも手伝ってか、イライラがおさまらない。
「・・・くそ」
 起き上がり、頭を振る。何も良いアイデアが浮かばない。こんなことをしている場合じゃないのに、何をすればいいのかわからない。
 九条はカバンから手紙を取り出す。例の水無月百花の手紙だ。一度も会ったことはないが、涼子の別人格に違いない。今思えば、涼子の部屋は4つの空間に区切られていた。一つは絵画、次にコンピュータ、そして学問の参考書が並べれた空間。最後に可愛らしいぬいぐるみが置かれた空間。つまり、涼子も含めて4人で構成されているように思える。
「・・・話したいことがある・・・か」
 手紙には小さな文字で「話がある。6月16日16時に市立図書館で待つ」と書かれてある。「こちらは何も進展していない。合わせる顔がないな・・・」
九条は苦笑した。
「何してるの?」
 急に声をかけられ、九条は慌てて手紙をカバンに詰め込んだ。振り返ると、そこには涼子が立っている。「あ、何か隠した」
「何でもないです」
「隠したよ。私見たもん」
「気のせいです。それより涼子さん、屋上は立ち入り禁止ですよ?」
「九条君だって入ってるよ。いけない子だね、君は」
 涼子は楽しそうに笑った。「それじゃ、おあいこだね」
 涼子は九条の隣に座り、寝転んだ。年頃の女が、思春期の男子の前でそんな無防備に横にならないでほしいものだ。それでも、目の前の先輩はどう見ても中学生にしか見えず、色恋沙汰には縁遠い。やはりこの人はまだまだ子どもだ。
 そう、どこにでもいる子ども。・・・悲痛な過去をもつこと以外はそこらにいる人々と変わらない。そしてそれが原因で、彼女の身に異変が起こっている。最悪の事態になる前に、早く手を打たなければならないのに・・・。
「九条君」
 涼子と同じように横になっている九条の額に、手刀が飛んできた。
「な、何をするんですか」
「最近九条君変だよ? いつも難しい顔して、すごく疲れてる。悩み事があるんだったら言ってね? 大学のことでも、仕事のことでも、何だったら恋愛相談にものるよ」
「オレは涼子さんより仕事はできます。それに中学生に恋愛ごとを相談するのはちょっと・・・」
「私は年上!」
 再度手刀が九条を襲う。その久しぶりのやり取りをして、2人は嬉しそうに微笑んだ。「そう、笑わなきゃ。暗い顔してるといいことないよ? 『笑う門には福きたる』っていうじゃない。笑ってれば向こうからいいことがやってくるよ。だから、笑顔笑顔」
 ・・・まさか助けようとしている人物に助けられるとは思ってもいなかった。だが、涼子のお蔭で幾分か気持ちが楽になった。そう、思いつめていても仕方ない。自分なりに、できることをすればいいのだ。
 九条は涼子の笑顔を見つめ、心から感謝した。しかしそんな恥ずかしいことを言えるはずもなく、「初めて涼子さんが年上に見えました」と言ってしまい、三度手刀を頂いた・・・。

 九条は涼子に元気付けられ、意気揚々と目的地へと向かった。
自分にできること、それは幾つもない。しかし、確実な案が一つある。なぜすぐにこれを実行しなかったのだろうか。
九条はあかりから山本家へのカギを借り、再びその現場へと足を踏み入れた。そして必要な物をカバンに詰めると、遺族に「お借りします」とだけ伝えて山本家を後にした。
 橘から教えられたことを思い出した。アルバムに写っていた人物のうち2人。涼子の母親、由香里の友人の原田。そして絵画の有名人、富士見谷隆盛。今の現状でも彼らを調べることはできる。原田の住所は分からないが、富士見谷は有名な分、所在地もはっきりしている。この山本家からそう遠くない土地にアトリエを構えているらしい。会ってもらえるかどうかはわからないが、会ってもらえるように説得するしかない。
 少し歩くと、なかなか立派な建物が顔を出した。玄関先には確かに「富士見谷」と記されている。玄関先で深呼吸をし、九条はインターホンを押した。・・・しかし反応がない。留守なのだろうか? 九条は軽く周りを見渡すと、頭上に監視カメラが設置されている。作品の盗犯防止のためなのだろう。もしかすると、見慣れる客に対して居留守を決め込むつもりなのかもしれない。こういう世界の有名人など、予定にない訪問客を嫌う気難しい芸術家は多い。それならば自分の作品に集中したいと考える気持ちも、九条はわかるつもりだ。
「申し訳ありません。富士見谷さん、お留守ですか? 私は先生のファンで、是非ともお話を伺いたいのですが・・・」
 ファンというのは嘘だが、彼についての作品などはある程度知っている。何せ、教科書にも載るほどだ。知らない人の方が少ない。「先生のファン」という言い回しに気を良くしたのか、スピーカーのスイッチが入る音がした。
「今先生はお忙しいようですが、10分程ならお時間をおつくりできると申しております」
 スピーカーから聞こえてきた声は女性のモノだった。お手伝いでも雇っているのかもしれない。「今玄関をお開けしますので、少しお待ちください」
 女性がそう言った瞬間、玄関は自動で重たく開いた。
「どうぞ」
 九条は女性の声に促され、富士見谷のアトリエに足を踏み入れた。その中は、庭から既に芸術がかっていた。石の通路が真っ直ぐにのび、もう一つの正面の玄関へと続いている。庭には松の木が植えられ、雄雄しく立ち上る。よく手入れされているので、専用の庭師でも雇っているのだろう。確かに素晴らしいものばかりだが、九条はある不審なものに気付いていた。それは監視カメラの異常な多さである。先ほどの玄関先で一つ。そして内側の玄関に一つ。よく眼を細めて見ると、左右の奥の壁の頭上にも幾つか見て取れる。そして右側の池の近くに一つ。松の木の上にも分かりにくいように設置されている。この分では家の中も相当すごいことになっていそうだ。世界的な画家といっても、こうまでセキュリティを固める必要があるのだろうか。
 戸を軽くノックすると、中から40代後半といったエプロン姿の女性が顔を出し、招き入れてくれた。
「先生は現在アトリエにおりますが、客間にてお待ち頂く様に仰せつかっております」
 九条は女性に案内され、客間へ入った。この客間も、いかにもといった感じで豪華な絵が飾られている。女性は九条を部屋に残し、「失礼します」といって部屋を出て行った。
 やはり、セキュリティは普通ではない。玄関から通路、そしてこの客間に至るまで、天井に設置されている。まるで美術館並だ。盗犯防止といっても、普通は玄関先や庭につけるのが普通だ。芸術家のアトリエということを差し引いても、絵が置かれている場所のみ設置すればいい。確かにこういう客間にも、豪華な机や掛け軸などが置かれているが、ここまでするだろうか?
 5分程待つと、戸が開いて教科書でも見たことのある富士見谷がやってきた。九条はさっと立ち上がり、頭を下げた。
「お忙しい中、わざわざお時間を作っていただき、ありがとうございます」
「いや、いい。丁度休憩するところだった」
 富士見谷はすっと椅子に座った。「まぁ、掛けなさい」
「はい、ありがとうございます」
 九条は富士見谷と向き合うように座り「こちらお茶を用意しました。ぜひ受け取ってください」
 九条はそう切り出し、カバンから包みを取り出し、テーブルに置いた。
「先生は静岡茶がお好きと伺っておりますので、そちらをご用意しました」
「おぉ、これは有難い。そろそろ茶の葉が心もとなくなっていたところだ。有難く頂戴しよう」
 富士見谷は包みを開け、それを確認すると、お手伝いの女性を呼んでこの土産物の茶の葉で茶を出すように命じた。「それで、何を話せば良いのかな?」
「あ、はい。実は私は大学のサークルで絵画の真似事をしているのですが、富士見谷先生のように素晴らしい絵を描くことができません。やはり絵を描くにおいては、何か感情を込めてやらなければ良い作品に仕上がらないと聞きます。そこで先生はどのようにお考えになって筆を進めているのか知りたいのです」
「良い作品か・・・。確かにそれは大事だ。感情は作品に表れ、作品からその描き手の心理を読み取ることもできる。君は私の作品を見たことがあるね?」
 九条は素早く記憶を探った。確か、昔見た教科書に富士見谷の絵が載っていた覚えがある。確かタイトルは・・・。
「雪の日・・・」
「ふむ、なかなか古い作品を挙げてくれたね。もう10年以上前に仕上げたものだ。君はその絵を見て何を感じた?」
「・・・これが先生の感情かは分かりません」
 九条は教科書に写っていた「雪の日」というタイトルの絵を思い浮かべた。その絵は、白く、どこまでも透き通るような白さで表現されていた。どこかの風景なのだろうが、一面が雪に覆われて僅かな風景しかみることのできない景色。それを見た当時小学生だった自分は、そのほぼ真っ白な絵を見て「これなら自分も描けそうだ」と笑った記憶がある。芸術など、一般人には分かりかねる表現がある。しかし今なら、何となくわかる。毎日涼子の素晴らしい絵を傍で見ているからわかるのだ。
「・・・寂しさと・・・孤独・・・」
 九条はそうボソっと呟いた。「あの一面真っ白な景色は・・・他に何も見ることができない、つまり孤独感を感じました。その孤独感が示すものは・・・寂しさ」
 九条は自分の感性が正しいのかどうか、恐る恐る富士見谷の顔を見た。富士見谷は大きく目を見開いてこちらをじっと凝視している。
「君は・・・」
 富士見谷が何かを言いかけたとき、お手伝いの女性が戸を開けてやってきた。
「お茶が入りました」
 女性は富士見谷と九条の前に湯のみを置き、その中に先ほど九条が渡した茶を入れ始めた。何とも良い香りだ。他にも茶菓子をテーブルに置き、女性は再び部屋を出て行った。女性が出て行ったのを確認し、富士見谷がようやく口を動かした。
「・・・君は良い眼をもっているな。その感性、大切にしなさい」
「先生は、当時どうかされたのですか? あの作品が公表されたのは確か12年前。それ以前に何かがあったんじゃないですか?」
 富士見谷は九条から眼を逸らして茶を啜り始めた。どうやらその内容は無闇に立ち入ってほしくないようだ。
「先生は・・・何か後悔されてますね?」
 九条のその言葉に、富士見谷はガタンと立ち上がった。
「これから作品の続きに取り掛かる。悪いがお帰り願おう!」
 どうやら、過去に余程のことがあるようだ。しかし、この反応を見ると、どうやら例の事件にも関係があるように思える。
 九条はスーと息を吐き、再び富士見谷の目を見据えた。
「・・・山本・・・良司さん・・・」
「な!」
 その九条の一言を聞き、富士見谷は恐ろしいものを見るように九条を見下ろした。その反応を見て、九条はすっと立ち上がった。
「どうやら先生もお忙しいようなので、これで失礼いたします」
 九条は富士見谷に一礼をし、カバンを手に客間を出て行った。もっと話をして反応を見てみたいとも思ったが、これ以上踏み込むと下手をすると本当に追い出されかねない。今日のところは大人しく引き下がるとしよう。それに、自分の目的は十分に果たした。
 玄関まで来ると、女性が外まで見送りに出てきてくれた。富士見谷の敷地を出て、しばらく歩いてそこで見かけた喫茶店へと入り、九条は脱力した。
「はぁー・・・緊張したぁ」
 九条はウェイトレスにアイスコーヒーを注文し、カバンから取り出したイヤホンを耳に当てた。「感度は良好」
 九条は既に策を弄していた。先ほど茶の葉を取り出すとき、ある物をカバンから出して置いてきたのだ。それは見た目はただの折り畳み傘。この梅雨の時季なら持っていても何ら不思議はない。それが実は盗聴器と誰が予想できるだろうか。こういう類の物がネットで販売されているのを知り、九条は万が一の為に購入していた。他人のプライバシーを勝手に探るのは心が痛むが、今はそういっている場合でもない。定価38000円は結構の痛手だが、この際仕方ない。受信距離も300メートルまで有効で、この喫茶店はギリギリ有効範囲だ。それにこの盗聴器はFMラジオで傍受される心配もない。
 耳を済ませると、早速音声が届いた。どうやら富士見谷は誰かと話をしているようだ。
「・・・私は・・・・・・を知らん」
「また・・・のか」
 富士見谷の声しか聞こえていないということは、誰かと携帯で話していると思われる。最初は電波がうまく入らなくて声も途切れ途切れだったが、段々とハッキリ聞こえるようになってきた。
「あの青年は・・・良司のことを知っていた。あの青年は・・・何かを知っているかもしれない。もしかすると我々がしたことも・・・」
 我々? つまり富士見谷の他にも犯行に加担した者がいるということなのだろうか。少なくとも3人以上であることは確かだ。
「ま、待て! 私がもう一度話しをする。何か知っているようなら口止めもする。だからこれ以上・・・」
 そこで富士見谷の声は止まった。戸が閉まる音が聞こえたので、どうやら折り畳み傘式盗聴器が置かれてある客間から出て行ったのかもしれない。
 そこで丁度注文したアイスコーヒーが九条の前に置かれた。九条は一口ブラックのまま飲み、ガムとシロップを入れ、ストローでかき混ぜた。そして3分の1ほど飲んで思考に耽った。
 どうやら・・・ビンゴだったようだ。富士見谷はあの事件に関与している。仲間が複数いるようだから、実行犯か共犯者かはわからないが、それは間違いない。凶器に関しても、犯人が複数いるようなら何とかアリバイを準備しておくことも可能だ。そして富士見谷が言っていた言葉。「ま、待て」「だからこれ以上」というこの2つの言葉。これは・・・危険だ。富士見谷は山本家の事件に対して、後悔の念があると九条は見ている。それがあの「雪の日」の絵だ。あの絵は事件が起こった後に描かれた作品。彼が山本家惨殺に手を貸しているとすると、あの絵から滲み出る孤独感も納得できる気がする。あの作品は哀しい絵なのだ・・・。その彼が何かを止めている。そしてこれ以上してほしくないと願っている。それはもう間違いない。第二のコロシを・・・彼は危惧しているのだろう。
 自分を囮にして、鬼を誘き出す方法も成功だ・・・。証拠がないのなら、証拠を出すようにこちらが行動すればいい。15年前の警察では、解決できなかったかもしれない。でも今なら、彼らの科学は更に発展している。自分が何らかの証拠を残しておけば、きっと彼らがそれを掴み、犯人と接触してくれるだろう。しかしそれは、自分が最悪の事態に陥ったということだ。そこまで来ていれば、自分は十中八九、殺されているだろう。
「殺されるのは勘弁だな・・・」
 誰だって好き好んで殺されたくない。これから自分は何とかして殺されず、犯人たちの証拠を掴まなければならない。しかし自分にはジョーカーという切り札も残っている。クロードや渡瀬。彼らが動いてくれれば、最悪の事態を免れることができるかもしれない。しかしそれでも考えておかなければならない。最悪の事態を・・・。

 京都駅から数キロ程離れた某所。
クロードはようやく『裏の店』で情報を手に入れることができた。
「それは本当か!」
 クロードはテーブルを叩き、店主に怒鳴り散らした。
「あ、ああ・・・。間違いない。確かにその時期に専用のナイフを購入した奴らがいる」
 店主はクロードの迫力に押されながら、冷や汗を流しながら応答した。「だけど、そいつらはプロだぜ? そんな単純な一家殺害なんてマネはやらねぇよ」
「何か事情があったんだろう。プロが動くほどの事情がな。それでそいつらの名は?」
「オ・・・オレはこれでもこの店の看板を背負ってる。客の情報を教えるわけにはいかねぇよ!」
「ほう、大した商売根性だ。ならば・・・」
 クロードは懐から拳銃を取り出し、店主の額に狙いを定めた。「死にたければその根性を貫き通すんだな」
「ひぃ!」
 店主はクロードの拳銃から伝わる殺気で、冗談ではないと悟ったようだ。彼のすさまじい圧迫感を受け、店主は腰が抜けて崩れ落ちた。
「わ、わかったよ・・・! 言うよ。言えばいいんだろう。買ったのは『ブラッド コブラ』の連中だよ」
「ブラッドコブラ・・・中国マフィアだな」
 クロードは拳銃を懐に入れ、急いで店を後にし、渡瀬に連絡をとった。
「渡瀬か?」
「おう、ミッシェルか。どうした」
「今渡瀬が教えてくれた店にいた。どうやら瞬が追っている相手は相当ヤバイ」
「・・・プロか?」
「ああ。中国マフィア『ブラッドコブラ』。金のためなら女や子どもも平気で手にかける暗殺集団さ。瞬が調べた情報を見せたもらった。どうやって調べたかわからんが、どうやら警察内部の資料らしい。それに写っていた被害者の切り傷を見ると、やはりあの店で購入したナイフに間違いない。これはまずいぜ」
「確かにまずいな・・・。あの坊主の性格を考えると、一人でも突っ走りかねない」
「Une bete! こんなことなら一緒に連れてくるべきだったぜ!」
「名古屋だったな? オレもすぐに向かう。・・・坊主・・・早まんなよ・・・!」
 クロードは急いで新幹線に乗り込み、名古屋へと向かった。
クロードはすぐに九条の携帯にかけるが、一向に出る気配はない。
「・・・嫌な予感がするぜ・・・」
 なぜ出ない? まだ20時過ぎだ。寝るには早いぜ。一度コンビニで働いていると聞いた。大人しくバイトをしていてくれればいいのだが・・・。
クロードは嫌な汗をかき、京都名古屋間の僅か30分が途方も無く長く感じた。

『Augmenter a action』 完

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