『正義の信念』

 皆・・・動き出している・・・。
葵も・・・杏も・・・。そして涼子も身体に異常が現れても負けることなく生活している。
そして・・・あの人も・・・私たちを助けるために・・・。
・・・もう・・・後ろばかり見ていてはいけないのかもしれない・・・。

 涼子はいつにも増して真剣な態度でキャンバスに向かっていた。このサークルの時間、一言も洩らすことなく目の前の絵に集中している。誰も声をかけるのを躊躇ってしまう程だ。
 サークルの時間が終了し、部員はそれぞれ帰宅を始める。しかし、涼子は未だ筆を動かし続けていた。
「涼子さん」
 背後に立った九条が声をかけた事で、ようやく涼子の動きが止まった。涼子は辺りを見渡し、既に部室には自分と傍にいる九条しか残っていないのに気付いた。それだけ没頭し、周りが見えていなかったのだろう。
「あれ・・・あはは。もうそんな時間だったんだ。全然気付かなかったよ」
 涼子は恥ずかしそうに笑いながら筆を片付けた。九条も仕方なくそれを手伝う。
2人は全ての戸締りを確認し、部室のカギを顧問に渡して大学を出た。もう季節は梅雨に入っている。6月になると、もう折りたたみの傘が手離せなくなっている。今日も、僅かだがパラパラと降っている。横目に映る水溜りを見ると、子どもの頃によく歌った「雨々降れ降れ母さんが・・・」という歌詞が頭の中を駆け巡ってゆく。隣で歩く涼子はまさにその歌詞のように、この雨の降る道を楽しんでいるように見える。
 よく考えると、最近は涼子に会っていなかった気がする。この1ヶ月はほとんど大学に来ていなかったし、コンビニのバイトも夜勤しか入っていなかった。事件の情報を交換するのに葵や杏と会って話すことはあっても、主人格である涼子とこうやって歩くのは本当に久々だ。
「涼子さん、オレちょっと用事があるから・・・先に行きますね」
「ん・・・? 用事って何かな?」
「えっと・・・」
 九条は言葉に詰まった。まさか「あなたが被害に遭った殺人事件を追っているんですよ」とは言えるはずもない。ろくに考えずに出た答えが「友人との約束」だった。涼子はそれで渋々納得し、妙に残念そうな表情を浮かべながら帰路についた。その涼子の後姿を見送って、九条は急いで約束の喫茶店へと向かった。
「安田の話だと・・・確か18時だったな」
 凶器について協力を要請し、その結果全く見知らぬ人からその店に案内してもらえ、との事だった。どうやらその人の話だと『裏』の店の可能性もあるという・・・。まさかそこまで大げさな事件に発展するとは思っていなかった。もし、凶器の出所が『裏』の店だとすると、事件の背景には何か恐ろしいものが待ち受けているかもしれない。これは普通の大学生が手を出してはいけない領域かもしれない、とすら思えてしまう。それでも、自分はもう決めたのだ。この先何があったとしても、後悔はしない。
 九条は電車を乗り継ぎ、名古屋駅へと到着した。安田の話によると、そこの時計灯でその人物は待っているらしい。約束の時間まで10分程早かったが、時計灯へと向かった。すると、そちら方面で人々がざわついているのに気付く。
「・・・なんだ?」
 九条も人々が覗いている方面に目をやると、そこには2メートル近い大男が立っていた。成る程、確かにあの図体だと目立つ。ボディビルダーを思わせるその肢体はかなり引き締まっていて力強い。腕など、自分の胴回りと同じくらいの太さだ。世の中にはああいう人間離れした体格の持ち主がいるのだと感心させられた。その大男も誰かと待ち合わせしているらしく、時計灯の前でドスンと座り込んでいる。その姿は圧巻で、周りの人々は彼を避けてなるべく目を合わせないようにしている。
 九条は時計灯の前に行くのは躊躇われたが、諦めて待ち合わせ場所であるそこへと歩いた。大男から少し離れた場所に立ち、腕時計に目をやる。
17時56分。もうじき約束の相手が現れる頃だ。一体どんな人物なのだろうか。もしかしたらもうこの場所に来ているかもしれない。安田も知らない相手らしく、簡単な目印だけ教えてもらった。確か・・・紅茶を飲んで待つ・・・と言っていた気がする。なぜ紅茶なのかはわからないが、確かにこんな場所でそんなものを飲んでいたら目立ってわかりやすい。九条は周りを見渡した。なるべく大男の方は見ないようにし、紅茶を飲んでいる人物を探した。だが、誰もそんな奇異な行動をとっている人物は見当たらなかった。
・・・ただ一人、その大男を除いて・・・。
 九条は頭を抱えてため息をついた。
「・・・まさか・・・アレか?」
 大男はペットボトルに入っている紅茶をゴクゴクと飲んでいる。人違いであってほしいが、残念ながらタイムリミットとなった。時間になってもこの大男以外紅茶を飲んでいる人物は現れなかった。先ほど固い決意をしたばかりだが、早くも挫けそうになった。九条は覚悟を決めて、その大男へと近づいた。
 近くまできて、その大男の全体の風貌がはっきりした。正面に立ってわかったが、この男は左腕を失っている。残った右腕にも、多くの傷が残っている。正面に立った自分に気付き、大男は鋭い眼光で九条を睨んだ。
「あ、あの・・・」
 九条は無意識に視線を逸らしている。こんな怪物の眼光を直に睨み返すなど、自分にはできそうにない。
「Votre nom?」
 大男は聞きなれない言葉で話しかけてきた。
「え?」
「あ・・・すまない。最近まで海外にいたものでね。君の名前は・・・瞬かな?」
 よく見ると、男は蒼眼の持ち主だった。ここから日本人でないことがはっきりとわかる。なのにも関わらず、男は流暢な日本語に切り替えて聞き直した。
「はい」
「そうか・・・。シンヤから簡単だが話は聞いている。詳しい話は向かいながらにしよう」
 男は立ち上がって歩き出した。実際に立ち上がった姿を見ると、より大きく見える。九条も彼に遅れまいと後を追った。
「・・・自己紹介が遅れたな。私の名前はミッシェル・W・クロード。生まれはフランスだが、各地を転々としているので日本語も話せる」
「えっと・・・クロードさん? 今からどこに向かうんですか?」
「東京だ」
「そうですか、東京へ・・・え?」
 九条は驚いて思考が停止した。クロードと九条は新幹線の切符を購入し、東京へ向かうのぞみ号へと乗車した。クロードの大きな身体ではこの座席は狭いらしく、見ていて窮屈だ。
「Bullet Trainに乗るのは初めてだ。この狭い座席は不満だが、移動に便利だな」
「・・・弾丸列車ですか」
「ああ。フランスでは普通にShinkansenとも呼ぶがね」
 九条は苦笑して先ほど購入した飲み物で喉を潤した。「瞬、君の目的を聞きたい。何のために君が行動する? シンヤから簡単に聞いてはいるが、君が関わる問題ではない。下手をしたら、君がその犯人に命を狙われることになる」
 クロードは再び鋭い眼光を九条に向けた。この圧迫感を受けていると、胸の鼓動が早まってゆく気がした。警察の尋問なども、同じような圧迫感を受けるのかもしれない。
 九条は呼吸を整えてクロードの眼光を見据えた。
「・・・確かにオレは事件と直接関係はない。けれど・・・知ってしまったから・・・」
 確かに涼子のためというのもある。しかし、動いてゆくうちに被害者の無念を感じ取ってしまった。幸せな家族をズタズタに引き裂いた犯人を、許せない。これは同情ではない。身体の奥から込み上げてくる何とも謂えない感覚。それは・・・。
「・・・瞬は正義の信念をもっているのか」
 クロードは口元に笑みを浮かべて、目の前の青年を眩しそうな眼で見つめた。「・・・君に案内しようと思ったのは、単に暇つぶしのためだ。シンヤの話を聞いて、この退屈な日常が少しでも緩和されるのなら・・・と今日ここに来た。言ってみればただの気まぐれだ。・・・だが気が変わった」
「ええ、構いません。クロードさんがこれからどうされようと、自分は一人でも動くつもりです」
「いや、違う。私も最後まで付き合おうっていう気になったんだ。君みたいに真っ直ぐなバカは、死なすには惜しい」
「・・・褒められてるんですか?」
「もちろんだ。私は瞬が気に入った!」
 クロードは大きな声で笑い、九条もその姿を見て微笑した。

 九条とクロードは東京駅へ到着し、クロードの案内で着いた場所は真っ暗な路地だった。
表通りとは違い、誰もいない道。肌寒ささえ感じるほどだ。クロードは何も言わず歩き続ける。九条も何も聞かず、クロードの後に続いた。少し歩くと、右手側に扉があるのに気付いた。どうやらこれがクロードの言っていた『裏の店』らしい。見た目には何の変哲も無いただの扉。クロードが扉を開けるが、内装も古ぼけたアンティーク店という様相だった。手入れがされていないのか、そこら中が埃臭い。
「Montrez une oeuvre d'art」
 クロードが店の隅に座っていた老人に声をかけた。その姿を見て、九条は首を傾げた。この店が『裏の店』ならば、店主にそのまま店主に話しかければいいものを、クロードは正面にいる店主を気にかけることなく隅の老人へ直行した。・・・もしかしたら、これが『裏』でのルールなのかもしれない。
 九条は新幹線の中で、クロードから僅かだがフランス語を教えてもらった。自分のヒアリング能力は怪しいが、今のクロードの言葉は何とかわかった。どうやらクロードは老人に対して「美術品を見せてほしい」と頼んだようだ。
 老人は客の姿を怪しげに眺めると、カウンター近くにある階段を顎で指した。確かに、清掃中の札が貼ってあるが、地下に続く階段が確認できる。クロードは「Merci」と礼を言い残して九条と共に地下へ続く階段を下りていった。
「・・・クロードはこういう店に詳しいんですか?」
「そうだな・・・。瞬くらいの歳の頃に一度ここに来たことがある」
 クロードは見た目30歳後半といった風貌だ。しかしその歳で身体中に傷があり、片腕さえも失っている。一体どんな過去を過ごしてきたのか気になるところだ。
 階段を降りきると、また新たに店が現れた。だがここでも、古ぼけてはいるが普通の店にしか見えない。軽くワインやカクテルが置かれている程度だ。
「ミッシェルか?」
 正面に座っていたバーテンらしき老人が、クロードに駆け寄った。「どうした! 随分久しぶりじゃないか。10年振りくらいか・・・。いや、よく来てくれた」
 先ほど「一度来た」といっている割にはやけに親しそうだ。老人はクロードの後ろに立つ見知らぬ大学生に気付き、椅子を準備してくれた。
クロードと九条は勧められるまま座り、飲み物も出してくれた。
「ほらよ。ミッシェルが好きなスロー・テキーラだ。そっちの坊主は何がいい?」
「いや、ボクは・・・」
「遠慮なんかするな。ミッシェルの知り合いから金は取らねぇよ」
 老人は九条の「未成年なので」という言葉を聞く耳もたず、早速奥で何かを作っている。クロードは九条の困った顔を見て、楽しそうに笑っている。その結果、九条の前に出されたものはオレンジが中に入れられた「ボヘミアン・ドリーム」というリキュールだった。リキュールならば甘みがあるし、坊主には丁度いいといって老人も笑った。
「渡瀬、実は聞きたいことがあってきた」
 クロードはテキーラを軽く呑み、老人に向き直った。「この九条が15年ほど前のコロシの事件を追っているらしくてな、凶器を辿っているそうだ」
「あ、はい。それで渡瀬・・・さん? ここって・・・そっちの店なんですよね?」
 九条は心配になって聞いた。『裏の店』で凶器の元を探しに来たのに、目の前にあるのはただのバーだ。しかし渡瀬は軽く笑って懐から黒い物体を取り出して九条に見せた。
「もちろんだ。この通りこんな老いぼれも護身用に拳銃だって持ってる。もちろんそれを売る客もちゃんと見て売ってるがね」
 九条は渡瀬から拳銃を渡され、その重さに慌てて机に置いた。
「あ・・・それではその頃に誰に売ったか覚えていますか? ほんの少しの情報でもいいんです」
「まぁ待ちな」
 渡瀬はカウンターに置かれた一台のパソコンを立ち上げた。「15年ほど前のコロシって言ってたな。一応50年間の記録はこの中に入れてあるから、これを見ればすぐにわかるはずさ」
 渡瀬は老人とは思えないほどのスピードでキーを叩く。それはすぐに見つかったらしく、再び九条たちの座るテーブルへとやってきた。
「確かに、そういう商品を売った記録は残っている。だが被害者は普通の家族だろう? オレのところではプロしか相手にしない。それもオレが認めた奴しかな。だからこの店を利用したやつらでないことは間違いない」
「それは本当ですか?」
「なんだ、坊主。疑うのか? オレは70年間この世界で生きてきた。一目見ればそいつがどういう汚い奴か、どういうバカ野郎かすぐにわかる。お前が単純でいい奴ってこともな」
 けなす言葉と褒め言葉を受け取っても、いまいちどう反応すればいいのかわからない。「だが・・・そうだな。奴の店ならそういうプロ・アマ関係なしに販売するかもしれない」
「え! それはどこの店ですか?」
 九条は勢いよくテーブルに手をついた。リキュールに入った氷がカランという音を残し、辺りは再び静けさを取り戻した。渡瀬はしばらく考え込み、地図を書いてクロードに渡した。
「そこはここよりずっと危険な場所だ。行くなら遺書でも書いてクロードと一緒に行きな。全く、見たところただのガキなのに、何でコロシの事件に首を突っ込むんだ?」
 渡瀬のその疑問に、クロードが横からそっと答えた。
「実はな渡瀬、惚れた女のためってやつらしい」
「ほう! それは面白い。もっと詳しい話を聞かせろよ」
 2人は勝手に話を進めて盛り上がっている。九条の方は、すでに勝手にしてくれといった感じだ。九条がカクテルを飲み干した時には、「ロマン」「結婚」など、途方も無い単語が飛び交っていた。
 九条とクロードはしばらく渡瀬と話をし、再び名古屋へと戻った。もう日もとっくに暮れ、街灯が照らす。捜査は一時中断し、また後日行うこととなった。九条はクロードと別れ、弱冠揺れる足でコンビニのバイトへと向かった。
「あの渡瀬の爺さん・・・どんだけ酒呑ませたら気が済むんだよ・・・」
 九条は断ったのだが、クロードと久しぶりに会えた喜びか、それとも九条の恋話でテンションが上がり、どんどんと酒を呑まされた。軽く10杯は呑まされたような記憶がある。リキュール程度ならば何とかなったかもしれないが、途中からウィスキーや日本酒まで登場した。九条は普段酒を呑まないので、「酔う」ということを初めて実感した。これはとても良いものではない。なぜ大人たちはこれを楽しそうに実行するのか甚だ疑問だ。
 それでも何とかアパートで横になり、水を飲むなりして通常の体調に近づけてバイトに臨んだ。まだ多少胸に違和感があるが、働けないほどではない。コンビニへ到着し、制服に着替えて店内へと入る。いつも通りこの時間は客が少なく淋しい。それでも何とか廻し、時刻は2時になった。再び霊が動き出す時間だ。あの涼子の父親の一件以来、心霊に対する恐怖は薄れている。いっそ、もう一度涼子の父親の霊と顔を合わせて犯人を聞き出したい気分だ。それが一番効率よく、且つ確実である。だが現実はそううまい方向へ進まない。被害者の霊が顔を出さないのであれば、今動くことの出来るものが犯人を追うしかないのだ。
 仕事がなくなり、遅い夕飯をとっていると、テーブルに自分宛の手紙があるのに気付いた。出勤したときにはのんびりとテーブルを見ている時間などなかったが・・・一体何なのだろう。九条は箸を止めて手紙を手に取った。表に差出人の名前はない。こんな場所にラブレターでもないだろう。
「何だ?」
 封を開けると、そちらに名前が記されていた。
・・・水無月 百花・・・と。

 久しぶりに笑った気がする・・・。ああいう若者は汚れを知らず生きていってほしいものだ。
クロードは部屋で拳銃に弾を込めていた。この相棒の出番が無ければそれにこしたことはない。コロシの犯人がプロにしろ、アマにしろ、九条は関係なく追うだろう。だがその正義の信念は、時として最悪の事態を招く可能性も孕んでいる。この自分の失った左腕がいい例だ。
「ああいうバカは死なせるわけにはいかないな」
 世の中が九条のような人間ばかりなら、戦争も、コロシもないだろう。九条たちのような良いやつらは普段通り生活していればいい。はみ出し者は、はみ出し者の手でケリをつける。
 クロードは準備を済ませ、渡瀬から受け取った地図を手にしてもう一つの『裏の店』へと向かった。
もう一つの店、・・・京都へと・・・。
 
『正義の信念』 完

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