『贈り物』

「私はあなたと一緒に立ち向かう」
 目の前の彼女はそう言った。涼子の第三の人格。それが九条の前に現れて・・・。九条と水無月杏。二人は互いに視線を合わせ、何を考えているのか・・・。
「君は・・・?」
 九条は立ち上がり、杏の前まで歩み寄る。
「私は・・・水無月杏(あん)。このまま・・・死を待つくらいなら・・・私は」
 杏は唇を噛み締めた。この目の前の女性、杏は涼子とも葵とも違う。涼子は明るく和ませる性格なら、葵は冷静沈着、そして姉のようなイメージを受け取る。この杏という女性は、儚げで脆く見える。今のセリフも、無理やり強がっているようにしか映らない。だが、それだけ彼女の精神は崖っぷちということなのだろう・・・。
「オレのことは知っているよね?」
「・・・ええ。葵たちと一緒に見てたから。まだあなたのことを完全に信頼している訳じゃないけど・・・可能性があるのなら私も立ち向かいたいから・・・」
「わかった。まだ可能性は少ないけど・・・一緒に行こう」
 九条はそう言って杏に向かって手を差し出すと、彼女は首を横に振ってそれを拒んだ。
「・・・完全に信頼している訳じゃない。だから協力はするけど、あまり私に近づいて欲しくない」
 そう言って杏は不安そうな目をこちらに向けた。全く、これまたやっかいな人格だ・・・。九条はため息をついて「わかったよ」と手を引っ込めた。
「杏、九条さんに迷惑かけないようになさい」
 あかりは杏の意固地さに呆れて戒めた。しかし、杏は両耳を塞いで聞こえないフリをしている。どうやらこの杏という女性は、そうとうな変り種のようだ。
「いえ、構いませんよ。それじゃあ杏、オレはこれから夜勤のバイトがあるから、明日の朝から聞き込みを始める。また明日な」
「・・・呼び捨て?」
「ん?」
「私の方が年上なのに・・・」
 そういえば・・・とっさに『杏』と呼んでしまった。意識はしていなかったのだが、これはやっぱり彼女の性格が子どもっぽく見えてしまったからなのだろうな。
「わかったよ、杏さん」
 『杏さん』と口にすると、相手を指す「あんさん」と聞こえて妙な感じがした。「・・・やっぱり杏で」
「・・・仕方ないから大目にみる」
 九条は苦笑して腰を下ろし、あかりが淹れてきてくれたお茶を飲み干した。
「それじゃ、また明日」

 時計の針は23時を指していた。九条は何もすることがなく、レジの前で眠気を噛み殺していた。店内には客は1人もいない。店内に音楽だけが流れていた。九条は扉を開け、外へ出て周りを見渡す。電灯がチカチカと光り、月が雲に隠れて闇夜を余計に表現しているように見える。涼しい風が流れているのに、それは心地よいものではなく妙に寒気を感じる。しばらくすると、常連客の1人がこちらにむかって歩いていた。
「や、頑張ってるね」
「あ、ありがとうございます。でもすごく暇で・・・さっきから睡魔が襲ってきて大変ですよ」
 お客に愚痴ると、「ははは、お疲れ様」と笑って労ってくれた。
「そういえば藤田さん、配達屋でしたよね?」
 前に一度、仕事のことを聞いて会話したことがある。藤田は肯いた。
「それがどうかした?」
「実は聞きたいことが・・・これはトップシークレットなんですが」
「え? 何だ、気になるな」
「14,5年前の事件ってご存知ですか? この辺りで殺人事件あったみたいですけど・・・」
 藤田は手を顎にやり、考える人よろしく考え始めた。そしてすぐに思い出したのか手をポンと叩いた。
「ああ、あったあった。でも九条君よくそんなこと知ってるね。その頃幼稚園児くらいじゃなかった?」
「そうですね。それにまだその頃は県外に住んでいたので知らなかったのですが・・・最近知ったんですよ。それでその犯人ってまだ捕まってないんですよね」
「ん〜・・・そうだね。確かに逮捕したっていう報道はなかったね。それで何? もしかして探偵みたいに探し出すつもりかな?」
「はは、ビンゴです。オレもこの町の住人になったんですし、もし近くにそういった人がいるとなると恐いじゃないですか」
「それで・・・ボクに聞きたいことって何かな?」
「・・・もし藤田さんさえ良ければ・・・ですが、協力してほしいんです。大宮病院、佐伯商事に配達する機会があったら、色々聞いてきてもらいたいんですが・・・」
 九条は真剣な表情で藤田に向き合った。藤田も、最初はただの世間話程度だと思っていたが、その真摯さに真顔になって考え込んだ。
「・・・わかった。もしその機会があったら聞いてくるよ」
「あ、ありがとうございます!」
 九条は思わぬ協力者の出現に喜び、頭を下げた。
「おいおい、頭を上げてくれ。自分たちの町にそういう犯罪者がもし潜んでいるのなら、誰でも恐い。誰でも捕まって欲しいと考えるさ。だから気にすることないよ」
 藤田はまた普段のようにあっけらかんと笑い出した。九条はこの藤田が結構好きだ。腹が出て頭も多少白髪混じりになって、年齢より老けて見えるが、こういった明るい性格は自然と人を惹きつけるような感じがした。
「それじゃ、また来るよ」
 コーヒーとから揚げを購入し、新しい協力者は帰っていた。
九条はその後、商品の廃棄処理や便の搬入を行った。お弁当やパン、飲み物や冷凍品、雑誌の検品や陳列をし、一段落した頃には3時を廻っていた。全ての仕事を終了させ、特にやることもなくなった九条は監視カメラを覗きながら遅い夜ご飯をとっていた。そして今後どう行動していくか考えていた。大宮病院と佐伯商事は藤田に任せるとして、一度橘医院にも話を聞きに行きたい。
「・・・ちょっと整理してみるか」
 涼子の家族が殺害された。
動機は? それはわからない。しかし、その山本家以外で他に犯行があったという話しはない。つまり、最初からこの家族を狙った犯罪という可能性が高い。もし犯人が涼子の家族を殺害した後で自粛の念に駆られたというならば、自首をしてそうなものだがそれがない。やはりこの家族を最初から狙っていたという予想は間違ってないように思えた。
 では、なぜこの家族が狙われたか。遺体には無数の切り傷があった。犯人が相当被害者を恨んでいた? しかし葵から聞いた話では、両親の良いイメージしか浮かばなかった。もちろん、人間なんて裏ではどんな顔をもっているかわからない。ニコニコ笑顔を振り撒く人に限って人を騙す悪人のような世の中だ。実際両親が良き父良き母だったのか九条にはわからない。もしかしたら犯人は職場の人間の可能性もある。
 凶器は? 警察は当然調べたはずだ。そういった類の物を販売している店を、そしてそこで購入した利用者を。しかしそれでも容疑者は浮かび上がらなかった。日本の警察は優秀で、少しでも証拠が見つかったら僅かな時間で犯人を追い込む。それなのに結果は現在知っての通りだ。今後、そういう店も調べてみる必要がある。
 現場に残されたもの。犯人に繋がるものは・・・凶器。凶器は見つかっていないが傷口がその証拠となる。他には? ・・・足跡。葵の話によるとそこは両親の鮮血によって真っ赤に染められていた。ならば犯人の足跡も残っていたはずだ。しかし、これは当然警察も調べたはず。そこから容疑者が浮かび上がらなかったのなら、自分が再び調べる必要はなさそうだ。
「・・・」
 九条は頭を悩ませた。こんなに悩んだのは人生で初めてかもしれない。それも自分のためではなく他人のために。しかし、案外そういうものかもしれない。自分のことならどうなっても自分の責任だ。九条も何とかなればいいと考えていた。だけど他の人のためなら・・・。無責任に見て見ぬフリはできない。九条がお人よしといえばそれまでだが、人には誰しもそういう優しい心を抱いていると信じたい。
 監視カメラに人の姿が映っているのに気付いて、九条は慌ててレジ前に走った。いつの間に店内に入っていたのだろうか。扉を開けるときのチャイムなど全く聞こえなかった。九条がレジ前に立つと、奥にいた男性客はこちらに気付き、近づいてきた。こういった深夜帯にみえる客は、大体がくたびれて見える。この時間に起きていること自体、生活のリズムが狂っている証だから仕方が無い。
「いらっしゃいませ」
 レジ前に立った男の顔を、九条は挨拶しながら覗き込んだ。この近所の人の顔は大体覚えたつもりだったが、この目の前の客は初めてみる顔だ。それにしても、どこかで見たことがあるような気がするのはなぜだろうか。男は小さな子ども向けのぬいぐるみをレジに置いた。
「お子様へのプレゼントですか?」
「はい。家では可愛い子どもが待っていますので。そうですね、朝子どもを驚かせるために子どもの宝箱にでも隠しておくつもりです」
 男はニコリと笑った。こういった幸せそうな家族を見ると、九条も嬉しくなる。九条はそのぬいぐるみを手にし、バーコードを通した。しかし、何度やってもレジ画面にはエラーが表示される。どうやら登録していない商品のようだ。最近のレジは結構優秀で、そういう細かなことも教えてくれる。
「申し訳ありません。こちらの方で登録していない商品のようだったので、今値段を見てきますね」
 九条は慌てて子供向けの棚に向かった。こういった商品であまりに古いものはコンピュータのデータから消えてしまうらしい。今回のぬいぐるみも、それなのだろう。しかし、その棚にも先ほどの商品の値段が書かれていなかった。おかしいな・・・。全く、こういうハプニングが一番困る。
 なかなか戻ってこない九条を心配したのか、男性客は様子を見にやってきた。
「これじゃないですか?」
 男性客が手元を指さすと、そこには確かにぬいぐるみが棚に並んでいた。値段は500円とある。
「あれ・・・?」
 先ほどこの棚も全部見た気がするのだが・・・見逃していたのだろうか。いや、疲れているとこういうこともあるのだろう。「あ、ありがとうございます。それじゃ、こちら500円になります」
 再びレジに戻り、会計を済ませると男性客は「ありがとう」と店を出て行った。それにしても、やっぱり疲れているんだなと九条は感じた。考え事など、自分の性に合っていないのかもしれない。こんなすぐにわかる商品も見逃してしまうなんて・・・。
 九条は再びぬいぐるみが置かれていた棚を見た。・・・しかし、そこにぬいぐるみは置かれていなかった。
「え・・・」
 先ほど男性客に言われた時には確かにあった。値札もしっかりと確認した。しかし、ぬいぐるみではなく、違う商品が置かれている。
・・・いや、違う。今置かれているこの商品は見たことがある。間違いない。自分が値段を見に来たとき、確かにこの商品がここに並んでいた。しかし、男性客に教えられて見たときにだけ、ぬいぐるみが置かれていた。そして現在は元に戻っている。
 ・・・これは一体? 九条は急に寒気に襲われた。
 「そんなはずは・・・」
 九条は急いで監視カメラを確認した。本来ならば店長たちと一緒に確認しないといけないのだが、後で謝ればいい。ちょっと不審に思って調べたとでも言えばいいだろう。
「時間は・・・ここだ」
 九条は映し出された動画を見た。やはり、店内に客はいない。これは自分が考え事をする直前に見た映像だ。そして、この少し後に先ほどの男性客が店内に入ってくるはずだ。だが、最初に映し出されたのは男性客ではなかった。
「な・・・何だよこれは・・・」
 なぜ、自分が一番最初に登場している?
店内には自分以外誰もいない。
「いらっしゃいませ」
 映し出されている動画には、何も存在しない空間に話しかけている自分の姿があった。どこにもあの男性客が映っていないのだ。
・・・あまりに疲れて幻でも視たか? それとも・・・。いや、確かに時間的に現れても不思議じゃないがそんなバカなことがあるだろうか。結局、妙な悪寒を感じて仕事どころではなかった。早朝、今岡が仕事にやってきた時、九条は思い切って聞いてみた。
「店長、幽霊って信じますか・・・?」
「ん、どうかしたのかな。もしかしてそういうお客様がやってきたのかな?」
「えっと・・・信じてもらえないかもしれないけど・・・」
 不安そうな顔を浮かべている九条を見て、今岡は冗談の類の話ではないと察したらしい。
「さぁ・・・幽霊でもお客はお客です。コンビニは誰にでも気持ちよく利用してもらう場。気持ちよく帰ってもらったのなら、それでいいと思いますよ」
 意外な言葉が返ってきた。残念ながら九条は、素直にそんな真摯に受け止めることなどできそうにない。やはり店長ともなるとお客に対する反応も高度なものになるのだろうか。今岡は疲れきった九条にコーヒーをおごってくれた。早く休んで疲れを取りなさいといわれたが、急に夜勤をすることが恐くなってきた。今岡は疲れをとれと言ったが、そんなことより憑かれていないか心配だ。
 急いで自分の部屋に戻り、用意しておいた布団に潜り込んだ。こういう時は、早く寝て忘れるに限る。今日も情報収集を行わないといけないのだ。杏と一緒に行動するのも疲れそうだし、行き先が不安だ。
 そこで、急に何かを思い出しそうになった。・・・何だ? 漠然としない何かが頭の中に浮かび上がる。九条は目を閉じ、ゆっくりとその浮かびあがった何かに触れた。これは・・・あのときの幽霊だ。「本当に憑かれたか」とも思ったがどうやら違うらしい。自分は、あの人をどこかで見たことがある。あれは・・・。
 「あれは・・・!」
 九条はすぐに布団から飛び起きて部屋を飛び出した。そしてそこに向かって走った。まだ5時過ぎで、朝焼けと川の水面の光が輝き、九条の眼を容赦なく照らす。眼が潰れそうなくらい効いたが、今はそれどころではない。九条は走り、目の前の水無月家に辿り着いた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 九条は息を整え、インターホンを押した。こんな時間に常識のない人間と思われても仕方ない。だけど、今は一刻も早く確認したい。少しして、あかりが顔を出した。
「あら、九条さん。こんな早くにどうされました?」
「あの、こんな朝早くに迷惑だとは思いますが・・・昨日の部屋に案内してもらえませんか?」
「え・・・?」
 それは一体どういう意味なのだろうかとあかりは首を傾げた。しかし、すぐに微笑んで「どうぞ」と案内してくれた。
客間へ入ると、九条は雷が脳天に落ちたような衝撃を受けた。同時に、寒気と嬉しさが込み上げる。
「やっぱり・・・そうだった」
 九条はそれを見上げた。その部屋の上部に置かれた・・・涼子の両親の遺影を。そしてそこに映っている男性こそ、深夜に見たあの男性客だったのである。
「あかりさん、あの写真の人たちは涼子さんには何て説明してあるんですか?」
 あかりは驚いて写真を見上げた。
「あの・・・私の親戚。涼子が小さいときに事故で亡くなったとしか・・・」
 この写真の人物が、涼子の両親であることは目の前の九条には説明していない。しかし、彼は何もかも知っているとあかりは感じた。それは素直に驚いたが、逆に恐くもあった。
「・・・会いましたよ」
「え?」
「今日、お店にみえました」
「そ・・・それはどういう・・・?」
 この男は何を言っているのだろうか。そういう疑心があかりの表情に浮かぶのを九条は読み取っていた。
「細かい話はまた追々説明します。それで、この人たちの家の場所を教えてほしいのですが」
「えっと・・・確かにまだ家はそのままになってるけど。視に行くんですか?」
「はい。探し物があるんです」
「・・・わかりました」
 あかりはどこからか鍵を持ち出し、それを地図と一緒に九条に持たせてくれた。「でも・・・本当に行くの? 昔のこととはいえ、殺人現場に1人で?」
 そういわれると、急に勢いが萎みそうな気がした。
「・・・そう言われると・・・ちょっと恐い場所ですよね」
 九条は苦笑したが、鍵と地図をポケットに突っ込むと、それでも行くというように微笑んだ。
「・・・大丈夫」
 いつの間にかあかりの背後に、涼子が立っていた。いや、この感じは・・・杏だ。あかりと九条は慌てて振り向いた。
「えっと・・・杏だよな?」
「ええ。どこか行くんでしょう? ・・・私も行く」
 九条にとっては思いがけない救援者だ。杏は既に身支度を済ませて行く気満々だ。この様子だと、九条が家に入った時から準備していたように思える。
「その代わり、1メートル以内に近づかないで・・・」
「・・・はいはい」
 九条は苦笑して杏と一緒に現場へと向かった。
朝日が照らし、人々が少しずつ町へ向かう。その中で2人はその道をゆっくりと歩んでいた。先に進む九条の後を、3歩ほど離れて杏がついていく。
「九条瞬・・・歩くの早い」
「あ、ああ。ごめん」
 涼子は運動が苦手だが、この杏はそれが顕著に表れているようだ。気が付くと、杏との距離がかなり離れている。そしてしばらく待ってから再び歩き出すのだが、またいつの間にか離れている。
「手でもつなぐか?」
「・・・や」
 言うとは思ったが、これは信頼以前に嫌われているように感じて堪らない。九条は肩を落としてそのまま歩いた。
20分ほど歩き、ようやく地図に記された家を発見した。手入れがされていないのか、家全体がかなり痛んでいる。表札には、何も記されていない・・・。
「杏、ここ覚えているか?」
 九条に言われ、杏はその家を見上げた。
「・・・うん、もちろん」
 杏は眼を細めて見つめている。その瞳には、悲しみの光が宿っているように九条は感じた。
 九条は鍵を開け、扉を開ける。誰もいない空間。しかし過去に誰かがいた痕跡は残っている。それは、涼子たち家族の幸せの痕・・・。そして今は失われている痕。九条は息をのみ、足を踏み入れた。
「・・・宝箱って覚えてるか?」
「宝箱?」
「ああ。小さな頃にそういう物を持ってたんじゃないか?」
「・・・こっち」
 杏は急に走り出した。九条も慌てて後を追った。走ると床がギシギシという音をたてる。杏は階段を駆け上り、正面にあった部屋へ入っていった。途中、階段にこびりついている染みに気付いた。これはきっと、昔の涼子の血なのだろう。これだけの年月が経っても、悲しみの痕は消えずに残っているのを知り、九条は胸が痛んだ。
「杏」
 九条が部屋に入ると、杏はベッド脇に置いてある箱を手にしていた。九条が杏の背後に立つのを察して、杏はその宝箱を開けた。
「これ・・・」
「ああ。お前のお父さんからのプレゼントだ」
 そこに入っていたのは、あの時に見たぬいぐるみだった。長い年月が経過して、大分汚れてしまっているが、それは間違いなくあの時父親の霊がもっていたプレゼント。あの時に見たものが本当に霊かはわからない。そして霊だとしたら何のために現れたのかもわからない。だけど、渡すことのできなかったプレゼントを渡すために、自分の前に現れた。九条にはそんな気がしてならなかった。
 杏はそのぬいぐるみを胸に抱き、目を閉じて涙を流し始めた。彼女の頬を、涙が濡らす。これは杏の涙ではない。彼女たち全員の涙なのだろう・・・。
 九条も、不意にもらい泣きしてしまいそうになった。しかし女の子の前で涙を流すということは、男としては恥ずかしい。九条はさっと部屋を出て通路にもたれ掛かった。
「・・・これで良かったんですよね?」
 眼を閉じ、天を仰ぐ。そして改めて決心した。こんな幸せな家族を壊した犯人を、絶対に許せない。自分程度の存在では何もできないかもしれないと考えていたが、それじゃいけない。絶対に捕まえるんだ。そしてこんなひどいことをしたのだと、教えてやるんだ!
 そう誓って再び眼を開けると、後方に何者かの気配を感じた。振り向くと、黒髪の女性が立っている。
ああ・・・わかる。この人も、人間じゃない。
 九条はもう恐怖を感じていなかった。むしろ、その女性に近づいていった。
「・・・涼子さんのお母さん。教えてください。あなたたちを手にかけた犯人を・・・。オレはそいつが許せない・・・!」
 女性は何も言わず、奥の部屋を指差した。
・・・引き出し・・・
 九条は確かにそう聞こえた。
・・・涼子を・・・お願いします・・・
 九条が再び振り向いたときには、もう女性の姿は無かった。九条は躊躇せず、奥の部屋に入り、机の引き出しを開けた。1段目と2段目には特に目を惹くものは見つからなかった。しかし最後の引き出しで大きなファイルを見つけた。
「これは・・・アルバム・・・?」
 中を覗くと、この一家の楽しそうな写真が載せてあった。そして、両親の友人・知人であろう人たちも写っている。涼子の母は、この中の誰かを指そうとしたのだろうか。どちらにしろ、このアルバムを持ち帰って調べてみなければいけない。
「・・・九条瞬」
 杏が部屋の外で立っていた。目の周りは軽く赤みがかかっている。それを隠そうと背中を向けていた。
「ああ。もう行こうか」
 九条はアルバムを手に立ち上がり、部屋を出た。階段を降り、玄関を出る。次にここを訪れるときは、全てが終わったと報告したいものだ。
 途中、杏がつまづいて転んでしまった。
「・・・大丈夫か?」
 九条が手を差し出すが、すぐに思い出した。「ああ、1メートル以上離れていないといけないんだったな」
 杏は九条の手を取ることなく立ち上がり、膝についた土を払った。
「九条瞬には借りが出来た・・・。98センチにまけてあげる・・・」
 それだけ言うと、ぬいぐるみをしっかりと胸に抱いて先に歩き出していってしまった。
「・・・はは。まぁいいか」
 九条は山本家を眺めた。「・・・それじゃ、犯人を追い詰めてみますよ」

『贈り物』 完

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