『商店街』

 3月。少しずつ暖かくなり春の訪れを感じる季節となった。
雪が溶け、草花が顔を出す。桜の蕾も、じきに花を咲かせるのだろう。冬の心地よい空気も好きだが、このポカポカとした陽気もいいものだ。
 1週間前、高校の卒業式が終わった。3年間という青春時代を過ごした我が母校は、自分の中にたくさんの思い出を作ってくれた。しかし恋愛事は全く無い灰色な青春であったのは少し残念ではあったが・・・。
 最後に後輩が言ってくれた「大学でも頑張ってくださいね」という言葉がくすぐったくもあり、しかし淋しくもあった。本当に楽しい高校生活だったのだ。ほとんどの新入生がそうであるように、自分も期待と不安を抱えている。一体これからどんな大学生活が待っているのだろうか・・・。
 不意に焦げた臭いがして、九条は我に返った。
「あ、しまった!」
 急いでコンロの火を消したが時すでに遅く、鍋に入っていた野菜は真っ黒でよくわからない物体に変化していた。
「今日の晩飯がぁ・・・」
 九条は肩を落とし、真っ黒に焦げた野菜を袋につめた。
 九条は卒業式を終えて、このアパートの一室を借りて一人暮らしを始めている。念願の一人暮らしなのだが、こうなってみると家事をしてくれていた母親のありがたみがよくわかる。料理に関しては高校の時に通っていた和食店のバイトの技術を駆使すれば何とかなると思っていたが、これでは先が思いやられる。野菜と共に、お先も真っ黒である。
「いやいや、うまいこと考えてる場合じゃない。こういう時は『真っ暗』が正解・・・ってじゃなくて」
 ご飯と味噌汁をテーブルに置き、箸をとった。「家賃も払わないといけないし、この辺りでバイト見つけないといけないなぁ」
 夕飯を食べ終え、九条は部屋を出た。近所に目ぼしいバイト募集先がないか偵察である。ついでに地理も把握できるし一石二鳥だ。金銭面で考えるなら居酒屋が妥当だろうが、酔っ払いを相手にするのは苦手だ。何をしゃべっているのかさっぱりわからない。
 他は何があるだろう。喫茶店? スーパー? コンビニ? どれも気がのらない。
 時計を見ると、21時を回っていた。この町は決して大きくはないが、地元のように田舎でもない。通りには光であふれ、人々は活気で賑わっている。少し歩くと、商店街が見えてきた。アンティーク店、美術用具店、書店、和風茶屋、スーパーなどが立ち並ぶ。すでに店を閉めているところもあるが、見ているだけで楽しめる通りだ。アパートからも近いし、次から食事の材料はここで買おうと考えているその時だった。
「きゃあ!」
 女性の声がしたかと思うと、足元に大量の空き缶が転がってきた。
「な、なんだ?」
 そちらを振り向こうとした瞬間スチールの缶を踏んでしまったらしく、九条は豪快にこけた。「いてて・・・」
「あ、申し訳ありません!」
 女性はこの大量の缶が入っていたであろうゴミ袋を片手にこちらに走ってきた。そして九条と同じように缶を踏み、豪快にこけた。
「またやっちゃった・・・」
 女性はお尻をさすり、九条の方に向き直った。「あの・・・ごめんなさい?」
 九条は女性が手に持っていたゴミ袋を頭から被ってしまっており、中に入っていたコーヒーなどの残りの液体も被ってしまって何というか・・・とても哀れな状態となっている。一難去ってまた一難といったところか、とても不運だ。
 九条は無言で袋をどけ、コーヒーの臭いがついた顔をのぞかせた。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「この状態が大丈夫に見えるか?」
 女性は少し考え、笑顔をみせた。
「はい! まさに水もしたたるいい男ってやつですね?」
 したたっているのは水ではなくコーヒーだと突っ込む気力も出てこない。これから自分はどうすればいいのだろうか。クリーニング代を請求する場面でいいのか?
 商店街の人たちが表に出てきて笑い出した。
「涼子ちゃん、またやっちゃったのかい? お兄さんもついてなかったね〜」
 九条は呆気にとられた顔で見渡した。正面の美術用具店の店長らしき人が歩み寄ってきて、九条の前で腰をおろした。
「ボクはここの商店街の会長で泉っていうんだ。そこの美術用具店の店長もやってるから、もしよかったら今度買いに来てよ」
 泉は懐から封筒を取り出した。「涼子ちゃんドジ記録100回記念! この商店街のお店で使える金券なんだ。どうぞ収めてください」
 どうやらあの女性の失態振りはこの商店街ではすでに名物になっているらしい。しかしこちらは散々な目にあっているんだ。こんな金券3万円分もらった程度で・・・3万円?
 九条は再び金券を見た。間違いなく3万円。この金券があれば今月の食費の心配もいらなくなる。
「まぁ・・・誰にでも失敗はありますからね」
 金の魔力に苦学生は勝てそうにない。九条は苦笑いしながら封筒を受け取った。
 その後、会長の泉がシャワーを九条に貸してくれた。
「それじゃ、九条君? ここに着替え置いておくからね」
「あ、ありがとうございます」
 本来は向こう側に非があるのだから、お礼を言うのには妙な違和感があった。しかし今はコーヒーの異臭がとれるだけでありがたい。それにしても、変わった商店街だ。先ほど起こった事件など、本来なら大事になっておかしくない。だがこの商店街の人たちが醸し出す暖かな雰囲気は、被害者でさえ和ませてしまうのだろうか。考えてみると逆に恐ろしいが・・・。

 「あの、今岡店長」
 涼子は商品の前陳をしながら店長を呼んだ。お客さんが商品を買った場合そのスペースに空きができてしまう。奥にある商品を前に押し出して次に買うお客さんが取りやすく、そして見栄えをよくする行為を前陳というらしい。
 今岡はレジ点検を行っていたが、途中で手を止めた。
「どうかしましたか?」
 今岡はここ、コンビニの店長という位にいるが、23歳ととても若い。見た目も高校生で通用しそうな程だ。事実、車を運転していたら高校生と間違えられて、警察に呼び止められたことも過去にある。そういう意味では涼子も似たようなものだ。この春から大学2年になるというのに、152センチという身長から、高校生…下手したら中学生に見られてしまう。
「また・・・やっちゃいました」
 涼子は恥ずかしそうにテレながら言った。
「またか、確かこれで100回目だったかな? で、相手は誰かな。スーパーに来たおばさんたちかな?」
「いいえ、全く知らない人でした。あんな男の人、この近所にいたかな?」
 涼子はこの近所に住む住人の大体の顔を覚えている。しかし涼子の記憶の中に九条はいない。
「それじゃあ新しく越してきたんじゃないですか? この時期だと大学に通うためとか考えられますからね」
 今岡はそう言って点検を再開した。「それでその不運な彼はどうしたんですか?」
「ゴミ袋に入ってたコーヒーとかをかぶっちゃって、泉のおじさんがシャワーを貸してます」
「おや、その噂の2人がやってきましたよ」
 涼子が店の外を見ると、泉と先ほどの被害者がこちらに向かっていた。やはり、色々と文句を言われるのだろうか。しかしそういう不安より先に疑問が浮かび上がっていた。
「やぁ、今岡君。お店の方はどうかな?」
 泉は店に入るなり真っ直ぐに店長の元に向かった。
「ああ、泉さん。相変わらずですよ。人手不足でボクは今日も16時間労働です。コンビニは24時間営業ですからね」
 涼子もその場に小走りでやってきた。そして九条の姿をまじまじと見つめた。
「あの・・・泉さん。何でこの人ここの制服着てるんですか?」
 涼子は首をかしげた。同時に今岡も肯いた。
「ええ、ボクもそれを聞きたかったんですよ」
「ふふふ、それはね」
 泉はもったいぶるように両腕を組み、間をとった。「彼が今日からここでバイトをするからだよ!」
「え〜!」
 泉以外の3人が一斉に驚いた。

『商店街』 完      


NEXT→    
inserted by FC2 system