『B』




 …その日の放課のSHRでは、担任の先生から許可を得て、九条が皆の前へ立った。皆はそれまでの授業で疲れていたのだが、九条が意味深に皆の前に立ったことで、「何だろう」とクラス中が視線を向ける。そんな視線を浴びながら、九条は恥ずかしげに頭を掻いた。
「えっと…疲れているところ悪いけど、少し時間をください。すぐに終わります」
 九条はそう言って手元に用意しておいた資料を数枚ずつクラス全員に回す。その資料を覗き込むと、大きな字で『夏の風景』と記されていた。皆に行き渡ったのを確認し、九条は話を進めた。
「・・・もうじき、皆も楽しみの夏休みがあります。一応例年通り、休み明けに工作や研究とかを発表しないといけないので、その予習も兼ねてこの資料を用意しました」
 九条が説明を進めている中、皆はそれぞれに資料を熟読する。浅倉は疲れた顔を浮かべながら、九条と共に作成した既に中身を把握している資料に目を通す。ところどころにプリントされた可愛らしいイラストを発見し、女子たちが「これ、可愛いね」と話し合っているのを聞いて、少し恥ずかしくなった。こういったイラストは、九条に頼まれて全て浅倉が描いたものなのだ。こういった自分で作成したイラストを褒められると、何だかこそばゆい。
「夏にはこの資料に載せたように、たくさんの夏限定のものがあります。えっと…それは星座だったり、海だったり、ホタルだったり…今回は研究の参考になるようなものを紹介するためにこれを作りました。それで先生とも相談して賛成ももらえているけど、もし良かったら皆で一緒に出かけて少しだけ勉強しないかな? 社会勉強とはいかないけど…要は遠足気分。どうかな…?」
 九条はそう皆に説明をした。元々は川野をクラスの皆に溶け込ませる作戦なのだが、九条が考えたこのアイデアはなかなか皆に好感を与えている。資料の一枚にある『ホタル』の項目では、これの作成者である九条・浅倉…そして情報を提供してくれた川野のイラストを載せている。そのイラストの川野は、少し不器用ながらも軽く笑顔をつくり、ホタルについて解説している。他の資料には一応クラス全員分のイラストも載せているが、これにも九条なりの作戦を実行に移すための伏線が張ってあったらしい。子どもというのはとにかく自分が載っているものに興味を顕著に示す。そしてそれが難しい文章でなく、特に漫画に近い資料などはすんなりと浸透する。全ての子どもがそうとは言わないが、そういったものの方が、普段から物静かな子でもこうして登場させておけばこれからも印象に残るし、その子を知ることにも繋がる。まぁ、よく分からないが九条はそう考えているらしい。
「実はこの近所に、ホタルがたくさん見れる場所があるということを川野さんから聞きました。それで…強制ではないけれど、ホタルの鑑賞に参加する人を集めたいと思ってます。もちろん他のクラスの友達も是非誘ってください。それで参加してくれる人は、ボクか、そこの浅倉裕輝に伝えてください」
 九条は最後に「皆で楽しくやりたい」と付け加え、皆を解散させた。皆はそれぞれに帰宅を始め、教室に残った九条・浅倉・川野は固まって座っていた。…というより、全く身動きをとらなかった川野の席に集まったといった方が正しいのかもしれない。
「川野、当日の案内はお前に任せるけどいいかな?」
「…私が?」
 九条はそう伝えるが、川野は少し驚いた表情を浮かべたものの、すぐにいつもの表情に戻り、首を横に振った。それを見て、九条は頭を掻いた。
「そうは言っても、ホタルのことなんてボクは全然知らないし、ユーキも知らないだろ? 川野しかいないよ」
「私はやらない。あなたがやればいい」
「川野って意外と頑固なんだな」
 九条はそう言ってため息をついているが、そのやり取りを見ていた浅倉は少し驚いていた。川野が、普通に話しているのだ。今まで川野は言葉を話したといっても、小さな声で、何とかギリギリ聞き取れるくらいの声量だった。しかし今は普通に話しているし、それも自然に見える。九条と接していることで、彼女自身変わってきているのかもしれない。そう思うと、友人である九条が誇らしくなったのと同時に、少し悔しくもあった。
「…それに私は嫌われてるから、私が行くと皆が来なくなる」
「だから、そういう考えはよくないよ。そりゃ確かに…今の時点では参加人数はほんの数人しか集まってないよ。でもこれから川野のそういうところを変えていけば、皆もきっと参加してくれるよ」
 九条はそう言って浅倉に視線を移す。「そのためならユーキも何でも協力してくれるよ。な、ユーキ?」
「あ、ああ」
 九条にそう言われ、浅倉は苦笑いしながら肯く。それを聞き、川野がこちらをそっと見つめてきた。
「…本当に?」
「…ああ。面倒だけど、仕方ないな。その代わり、ボクにできることだけだぞ」
「…うん、ありがとう」
 そう可愛く微笑む川野を見て、不意にドキリとさせられてしまった。川野は、他の人たちと何ら変わらない。こうして可愛く笑うこともできるし、普通に話すこともできる。ただ少しだけ不器用なだけなんだ。川野のこうした部分を引き出していけば、きっと皆と一緒に楽しくやっていけるはずだ。

 …その翌日から、3人の努力が始まった。
朝早く集まって、まずは学校周辺の掃除を開始した。始めは3人だけだったが、その姿を見た友人たちが少しずつ参加してきてくれ、次第に他のクラスの子や、下級生も増え、それを見た先生も協力してくれた。面倒と思う人もいたかもしれないが、誰だって自分が使う場所なのだから、汚い場所よりきれいな方が絶対にいい。段々ときれいになっていく風景を見て、皆の笑顔も増えてきているような気がした。
 そして他にも、変わってきていることがあった。集団行動することにより、川野が他の子たちと接する機会が増えたのだ。川野が九条や浅倉の傍にいたことで、他の子たちの目によく映ったのもあるかもしれない。それに加え、川野は元々自然が好きな子だ。こうして次第にきれいになっていく風景を感じて、本人は気づいていないかもしれないが、笑顔が増えてきている。皆と一緒に掃除をしていて、他の掃除してくれている子に「ありがとう」と自分から話しかける姿も見られたのだ。そんな姿を見て、九条と浅倉は顔を見合わせて大笑いしたいのをかみ殺した。
「九条、今の見たか? あいつが自分から話しかけたよな?」
「そうだな」
 2人は必死にゴミ拾いをしている川野に視線を向けた。この掃除を始めてからまだ一週間しか経っていないが、たくさんの人が手伝ってくれている。今日のように日曜日でも、こうして自分たち以外にも手伝ってくれているし、近所の人たちも出向いてくれている。掃除で疲れた後の、そういう人たちが差し入れてくれる食べ物や飲み物がすごく美味しく感じた。この掃除を始めて、教室内でも変化が起こっていた。今までは誰も川野に近寄らず、話しかけることもしなかったのだが、最近では何人かが川野に話しかけている姿を目撃しているのだ。
「川野さん、今日はどこ掃除する?」
「私先生からゴミ袋もらってくるね」
「この辺だいぶきれいになったよね。やっぱりこの方が気持ちいいね」
 ・・・など、聞き耳を立てるとそのような会話が交わされていた。川野も少し戸惑い気味ではあるが、彼女たちの言葉に応答している。
「な、九条」
 浅倉はゴミ拾いしながら、隣で草むしりしている九条に声をかけた。九条は乱雑に生い茂っている草むらに視線を落としながら、「何だ?」と答えた。少し離れた場所では川野が他の子たちと一緒にゴミ拾いをしている。
「九条ってすごいよな。今じゃこの掃除、強制もされてないのにボクらの学校の生徒ほとんどが参加してるよ」
「誰だって汚れた場所より、きれいなところの方がいいだろ」
「それもそうだけどな」
 九条は淡々と草むしりをしているが、これは実は心理学に基づいた行動であることは2人は気づいていなかった。誰でも集団で行っている行動については興味を示すし、それが良いものであれば自分も参加したくなる。それは子どもであれば顕著に現れる。それは鳥の行動に近い。それまで身近に接近しても飛び立たぬ鳥がいたのに関わらず、他の鳥が飛び立っただけでその鳥も慌てて飛び立ち、後をついていく。群集心理で「一緒に飛び立たないと」とでも感じるのかもしれない。川野へのイタズラの場合、その心理が働いていた。誰か一人がイタズラをし、それが感染するかのように広まるのもこの心理の厄介なところだ。それがイジメに発展していってしまうのだが、九条のとった行動は皆をプラスに促していた。
 事実、川野へイタズラしていたと思われるクラスメイトも、今では一緒に掃除をして川野にも話しかけてくれているし、今後に予定している『ホタル鑑賞』への参加申し込みも殺到している。そんな大人でも驚くような行動に促したのいうのに、その張本人は雑草を抜きながらも傍に生えているクローバーを眺めている。大方四葉のクローバーでも探しているのかもしれない。
 浅倉はそんな九条を見て、苦笑いした。
「…全く、お前は末恐ろしいよ」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、別に…」
 2人がそう話していると、奥から川野が一杯になったゴミ袋を持って走ってやってきた。
「もう袋が一杯になったから、あげる」
「いらね」
 浅倉は即答する。「学校側に置く場所が用意してあるから、そこまで持っていけよ。新しい袋もそこにあるだろ」
「それじゃ、浅倉君一緒に持っていって。私一人じゃ持てないから」
「ボクがぁ? 九条、代わりに行ってくれよ」
 浅倉は眉を潜めて九条に視線を移すが、当の本人は黙々と雑草を抜き、黙々と四つ葉のクローバーを探していた。どうやら集中しすぎて聞こえていないらしい。浅倉はため息をついて「わかったよ」と吐き捨てた。
 川野が持っていた片方のゴミ袋を取り上げ、その場に九条を置いて歩き出した。こうして歩いていると、今までの自分たちの苦労のおかげか、ゴミが全然見つからない。九条に言われてやったことだが、確かに気持ちのいいものだ。
「…九条ってすごいな」
 浅倉がそう呟くと、隣にいる川野もコクリと肯いた。
「…そうだね」
「知ってるか? この前あいつ新聞に載ってたんだぞ。何か…『子どもたちが自主的に地区の清掃を』…とか何とか。結構話題になってるらしい」
「知ってる」
 浅倉は胸が痛んだ。こうして九条の話題を出していると、川野は普段他の人には見せないような表情を浮かべるのだ。その表情を見ると、なぜか不思議と自分の胸が痛む。
「…川野って変わったよな。何ていうか、よく笑うようになった。これも九条のおかげだよな」
「…九条君と…浅倉君のおかげだよ」
「ボクは何もしてない。ただ…あいつの言うとおりしてただけだよ」
「違うよ」
 ドサッと川野はゴミ袋を落とし、浅倉の裾を掴んだ。「…私は、すごく感謝してるよ」
 川野はそう言って見つめてくる。その表情を見て、浅倉は慌てて顔をそらした。
「そ、そうか」
「うん」
「…ほ、ほら、早く新しいゴミ袋持って行かないと、九条が困る! 早く行くぞ」
「うん」
「っていうか、お前汚れた手で裾を掴むなよ! あ〜…ほら、汚れちゃったじゃないか」
「うん」
「その返事はおかしいだろ」
「わかった」
 川野は謝りもせず、再びゴミ袋を取って走り出す。「先に行っちゃうよ」
 浅倉はため息をつき、後を追った。



「お疲れ様!」
 九条は清掃を終えた皆にそう伝えて、近所人から差し入れてもらったジュースを配った。皆は満足そうな笑顔で喉を潤している。しかし、川野だけが缶ジュースを手にしたまま固まっていた。それに気づいた浅倉が「飲まないのか?」と聞いた。
「私、炭酸は飲めないから」
「…換えてやりたいけど、ボクのも炭酸だからな…」
 そう言って頭を掻いている浅倉に、九条がジュースを一口飲んでやってきた。
「どうかしたか?」
「いや、川野が炭酸は飲めないって言うんだ。でももう飲み物は余ってないし、皆飲んじゃってるだろ?」
「炭酸が飲めないか…困ったな。もう少し早く言ってくれればボクのと取り替えてやったのに…」
 九条がそう困っていると、川野が持っていた缶を九条に手渡す。そして九条が持っていた缶を取り上げた。
「…私、こっちがいい」
「え、でも…」
 九条が慌てて取り返そうとするが、川野は取られないようにさっと身を翻す。そして川野はすぐさまそれをゴクゴクと飲んでしまった。そして空になった缶を九条に渡す。
「ごちそうさま」
「あ、ああ…」
 九条は少し顔を赤くし、その空になった缶をを受け取った。「お前、人が飲んだコップとか気にしないタイプか?」
「……間接キスってやつ? 別に気にしない」
「……」
 九条は少し困って顔を伏せている。だが諦めたようにため息をつき、背を向けて、皆が飲み終わった缶の回収を始めた。そんな九条の姿を見て、川野は小さく微笑んでいた。
「…九条君のだから…嫌じゃないよ」

 その小さな告白は、九条本人には聞こえていなかった。他の誰にも聞こえていなかった。
ただ一人、浅倉裕輝を除いて…。


『B』 完
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