『A』





 今日はクラスメイトの意外な一面を見たような気がした。
今までそのクラスメイトはほとんど言葉を話すことなく、物静かな子だった。正直言って、まともに声を聞いたのは今日が初めてだと思う。そんな子が、自分の友達と一緒に仲よさそうに放課後デートを楽しんでいたのだ。友達である九条は「何を言ってるんだ」と否定していたけれど、ちょっと不思議な雰囲気のある子が九条の好みのタイプであるような気がしないでもない。
 帰り際、無口な川野蛍が言った。
「・・・靴、ありがとう」
「また、ここに遊びにくる」
 ・・・というたった2言ではあったが、自分はとても驚いた。「靴」とはどういうことか九条に聞いたが、蛍は同級生にはあまり評判が良くないらしい。そういった心の腐ったような奴らが、彼女の靴にイタズラをしたのだそうだ。確かに自分の友人たちを見ても、あまり好かれているような感じは全くない。全員に嫌われているということはないのだが、下手に同情して手助けをすると、自分もイジメの対象にされるかもしれないと恐れてか、誰も蛍に近づこうとさえしない。・・・例外は九条だけだ。あいつはクラス長というだけで見て見ぬ振りもせず、今日のように色々と気を配っている。そのせいで多少の火の粉がかかっているが、蛍のようなあからさまなイタズラはされていない。九条は優等生のように見えて、ケンカもなかなか強いのだ。九条自身はピアノばかり弾いていてケンカは苦手と言ってはいるものの、以前クラスのガキ大将とも言うべき男子にケンカを売られ、打ち負かしたことがある。そういう戦績があるからか、九条はそういったイタズラの対象にされることはあまりない。
 ・・・それに比べ、自分は勉強がさほど出来る訳でもないし、ケンカも弱い。せいぜい実家が神社で土地がある程度あるということくらいか・・・。そんなことを考えていると、父親が神主の格好をしたまま、部屋に入ってきた。
「ユーキ、少し話がある」
「何、父さん?」
 父さんはボクの前で座り、自分の前に座るように促してきた。促されるまま座ると、父さんは深刻そうなため息をついた。
「・・・今日、会った人のことを全員覚えているか?」
「・・・? 全員・・・は覚えてないけど・・・」
「そうか・・・。実は先ほど視えてな・・・」
 父さんはそう言って自分の目を指差した。こういった家系のせいか、父さんは小さな頃から霊感があったらしい。ちょっとした超能力的なものなら扱えると聞いている。ここで言う父さんの『視えた』はその能力から発生したものなのだろう。
「・・・これから先に起きること?」
「・・・うむ」
 ボクの疑問に、父さんは肯く。父さんは未来の映像を視ることができるのだ。しかしそのタイミングは自分では計れず、しかもどれだけ先の未来かも知れず、あまり合理的に活用することは難しい。しかし時には不幸なことなども未然に防ぐことができる。少し前に聞いたことだが、父さんは以前ボクが小さな頃に川で流されて亡くなるという映像を視たことがあったらしい。それ以降、父さんは当時のボクを決して川に近寄らせようとはしなかった。今では泳ぎも覚えているし、ちょっとやそこらの川で溺れるということはないだろう。つまり父さんがそういう行動を制限したおかげで、自分はこうして生きているとも言える。そんな父さんが深刻な顔をして話しているんだ。ただ事ではないだろう。父さんはゆっくりと話す。
「・・・暗くて寂しい場所に・・・光が飛んでいるんだ。それも一つや二つじゃない。たくさんの光が集まって飛んでいる。その中に、小さな女の子が立っているんだ」
「・・・女の子? それで?」
「それだけなんだが、その女の子が少し普通じゃないんだ。何だかその子も光って見えたんだ」
「・・・?」
 ボクはよくわからず首を傾げた。確かに不思議なことだけど、そんな深刻そうな顔を浮かべるようなものではないような気がする。しかしその映像を視た父さんしかわからない、そういう表情を浮かべさせるだけの何かがあるのかもしれない。
「…詳しいことはよくわかんないけど、とにかく『それ』は防いだほうがいい未来ってことだよね?」
「父さんはそう感じている」
「それじゃ、一応気をつけておくよ。場所はどこなの?」
「場所は家の鳥居の近くに小さな川があるだろう。風景としてはそこに近かったな」
 鳥居の近くの小さな川というと、ちょうど今日、九条と川野と一緒に眺めた場所だ。あんな景色の綺麗な場所で、一体何が起きようとしているのか、今の自分には到底想像もできなかった。一応、九条にも話をしておいて、協力を頼んでおいた方がいいかもしれない。浅倉はそう考えて、父親に「おやすみ」とだけ声をかけて、立ち上がって寝床についた。


 …翌朝、少し寝坊したものの、すぐに父親が用意してくれた朝食を口の中に含み、寝癖のついた髪形のまま家を出た。そして分団の集合場所へ走り、何とか時間には間に合って一息ついた。浅倉は残念なことに分団長という役職についている。要はその地区の子どもたちを引き連れて学校までまとめていく係なのだが、これがまた意外に責任を押し付けられる。分団の誰かが遅刻すれば、責任者の自分が家まで迎えに行かなければならないし、それで学校に遅刻でもしたら真っ先に非難を浴びるのは自分なのだ。そういう責任が伴う役職は、本来ならば立候補などで決められるはずなのだが、運の悪いことに、この分団では最上級生は自分しかいない。そのため自動的に繰り上がってしまったのだ。自分と同じように「めんどうくさい」と言っていても、同じ分団長の九条は先生や親たちにも信頼されており、同じ長でもえらい違いだ。
 浅倉は息を整え、その場所でそれぞれ自由に過ごしていた班員に声をかけた。皆は自分のところに集合し、こちらの顔を見上げてクスクスと笑っている。
「・・・何?」
「今日もユーキ君、ギリギリだったね。駄目だよ〜、班長さんなんだから」
 一つ年下の小城由紀(おぎ ゆき)がそう言って笑う。それのどこが面白いのか、伝染したように皆がクスクスと笑っている。
「いいんだよ、時間には間に合ってるんだから。それに早く到着すればいいってものじゃない。時間は有効に使うものだよ」
「それじゃ、ユーキ君は朝から有意義に過ごしてたの? どうせ夢の中で過ごしてたんじゃないの?」
「う、うるさいな!」
 浅倉はその子に背を向けて、歩き始めた。「こんなところで無駄話してると、遅刻する。その話は終了!」
 浅倉は先ほど自分に突っかかってきた小城が苦手だ。年下なのだが、いつも正論をついてきてやりづらい。副班長でもあるから、色々自分に言いたいことはあるだろうが、どうせなら年齢関係なくその役職を取り替えてほしい気分だ。まだ副の方が気楽そうだ。
「ね、ユーキ君。もう少し早く行かないと、西の班と合流できないよ! もっと急ごうよ」
「別に合流する必要もないよ。九条とは教室で会えるし」
「それじゃ、私が会えないじゃん! この意地悪!」
 小城はなぜか九条に憧れているらしい。小城だけでなく、うちの学校のほとんどは九条に一目置いている。それは昨年のジュニアのピアノコンクールで最優秀賞を受賞したからだろう。先生たちも将来九条は音楽界のスターに登りつめると今から楽しみにしている。でもそれは九条をよく知らない人間の予想だ。確かに九条は両親のスパルタ的な特訓で高度な技術も身につけているし、センスもあると思う。でも、九条自身はそれほど熱を入れていないし、それで生計を立てていこうなんて考えてもいない。しっかりしているように見えて、実は無計画に生きている。そんな九条の本性を知らない皆は、「優れた有名人」と憧れているのだろう。同じ班というだけで、今まで何度小城に九条の写真を撮ってくるように頼まれたことか…。あまりにしつこかったので、ドブネズミを何十枚も撮って渡したときはさすがにキレられたが、それでも熱は冷めない。
 本来ならば、小城が鬱陶しくなるので合流は望まないが、しかし九条は律儀にいつもの場所で班を待機させていた。
「うぉ! 九条、待ってなくても良かったのに!」
「いや、大丈夫。班の皆も少し休憩してたからさ。1年生なんて、ほら、そこに生えている草むらで、四葉のクローバー探しが始まってる。だから別に気にすることないぞ?」
「いや…気にするとかじゃなくてさ…」
 九条は普段と変わらない笑顔をこちらに向けてくるが、その九条の行動は自分にとってはあまり好ましくない。後ろに視線をやると、案の定小城の表情がピカピカと輝いていた。小城は九条の前に立ち、ペコリとお辞儀した。
「九条さん、うちのダメ班長が遅刻してしまって申し訳ありません。本当にダメダメで、それで九条さんに迷惑をかけてしまって、私からお詫びします!」
「うぉい! 誰がダメダメだ! お前の魂胆丸見えだ」
「何を言うんです、ダメ人間。私は純朴な女の子です。魂胆なんてありません」
「さらっとダメ班長からダメ人間に降格させるな」
「あ、ダメ班長は認めてるんですね」
「そういうことじゃない!」
 そういう言い合いをしていると、九条が目の前から消えているのに気がついた。九条は向こうの班の1年生と一緒に、草むらのところに座り込んでいた。そして1年生、2年生に手のひらのクローバーを見せながら、こちらへ戻ってやってきた。
「ほら、四葉のクローバーがあった。探せばあるもんだな。あ、ところで痴話ゲンカは終わったか?」
「ちょ、九条! 誰が痴話ゲンカだよ」
「そうですよ! こんな人、全然そんな目で見てません」
 九条の言葉に2人は否定するが、元から九条は言い分を聞く気はないらしい。「そろそろ行くか」と両方の班員を集合させると、皆を引き連れて歩き出した。浅倉と小城はその場に取り残され、慌てて後を追う。
 しばらく歩き、学校に近づいてきた。しかしそこでなぜか九条は足を止め、小城に体の正面を向けた。
「小城さん、このまま皆を連れて行ってあげてもらえるかな? ボクとユーキはちょっと寄るところができちゃって…いいかな?」
「はい、いいですよ。任せてください!」
 小城は憧れの九条に頼まれたからか、さして理由も追求せず、意気揚々と皆を引き連れて行った。
「九条、寄るところってどこだ?」
「さっきの草むらのところ。ユーキは気づかなかったか?」
「…? 何かあったか?」
 浅倉と九条は今来た道を戻りながら話す。「さっきの場所は特に気づかなかったけど…」
「ま、影が薄いからな」
「影?」
 再び草むらに到着し、九条がすっとある方向に指を差した。草むらが続き、その先に川が見える。自分の神社の近くに流れる川の、下流に位置するその場所は、あまり人気がない。だから人の出入りもあまりないし、草も伸び放題だ。九条が指差した場所をじっと眺めるが、特に何も見えない。
「ほら、あの川の手前。座ってるのが見えるだろ?」
「…あ」
 九条に教えられ、ようやくその影を発見した。川野蛍だ。彼女はその場所に座り込み、川の流れを眺め続けていた。完全に風景と同化していたから、見つけるのは非常に困難だった。それは「○ォーリーを探せ」よりも困難で、心霊写真を探し出すよりも根気がいる。それを見つけた九条は感心するどころか呆れてしまう。
「あいつ、あんなところで何してんだ?」
「さぁ…でも、このままじゃ遅刻しちゃうし、クラス長としては見過ごせないよ。めんどうだけど」
 九条はそう言って草むらを掻き分けて川野に向かっていく。九条一人だけ行かせる訳にはいかず、浅倉もため息をつきながらついていった。こういった草むらにはいきなり蛇でも出そうな雰囲気ではあるが、先を行く九条はそんなことなど気にもせず、どんどん歩いていく。そして座り込んでいる川野の傍へ到着し、何も言わずにその場に座り込んだ。遅れて到着した浅倉が、そんな2人を見て、ため息をついた。
「おい、九条。学校に連れてくんじゃないのか?」
「まぁ、待てよ。少しだけ、川野がこんなにも熱心に見ている景色が気になってさ」
 九条は苦笑いを浮かべながら、隣の川野に視線を移す。「確かにいい景色だとは思うけど、このままだと学校、遅刻するよ?」
「……別にいいよ」
「良くないだろ」
「…行っても、意味ない。他の人も、嫌がるし」
 他の人…というのは、クラスのイタズラをしてくる人たちのことを言っているんだろう。そろそろイタズラの範疇を超え、イジメと呼ばれるものに飛躍してきていた。そもそもどこからがイジメなのか、その境界線は曖昧だ。イジメを受けている人間にとって、その場は耐え切れない程の苦痛があるのだろう。川野はそう言って目を閉じた。
「…それだったら、ここでこうしてのんびりしてた方がずっといい」
 川野は意外と頑固らしい。九条は浅倉と顔を見合わせ、肩をすくめた。
「あ、そうだ」
 九条は突然何かを思いついたように呟いた。「川野、もうじきあの川でホタルが見れるようになるんだよな?」
「…うん」
「それじゃ、今度皆で見に行かないか?」
「おい、九条! 皆ってボクもか?」
「当たり前だろ。人数いた方が楽しいだろうし、それにボクに考えがあるんだよ」
 九条はこいこいと浅倉を傍に呼び寄せ、ヒソヒソと声を潜めて話し出した。九条の考えは、こうだった。川野はクラスでは現在嫌われ…もとい、浮いた存在だ。だからクラスの皆を川野のお勧めの場所に案内させ、楽しんでもらおうという作戦だった。確かにそれならば、クラスの何人かは喜び、川野の見る目が変わることもあるかもしれない。そういった隠れた良い景色を知っていると、関心をもってもらえるかもしれない。九条はクラス長だ。そういうツアー的なものを実行に移すことは、そう難しくないだろう。
 …しかし、それにはひとつ問題がある。川野自身が他の人たちとの交流を望むか、ということだ。散々自分にイタズラをしてきた人間だ。自分だったらそう簡単に割り切れないだろうと浅倉は考える。
「まぁ…めんどうだけど、何とかクラスの皆に伝えてみるよ」
 九条はそう言って、隣の川野の腕を掴み、引っ張っていった。引っ張られる川野は未だここの風景に未練があるらしく、引っ張られながらもずっとそちらを眺める。そしてその直後、恨めしそうにこちらを睨んできた視線が少し痛かった。

「…ま、あいつにとっては余計なことかもしれないけど、それも面白いかもしれないな」
 浅倉はそう呟き、不意に父親の言葉を思い出した。
『暗い場所で、光が飛び交う。そしてそこに女の子が…』
 …それは図らずも、今後の状況に近い。父親の言葉を疑うことはしないが、自分にとって傍にいる女子というと、同じ班の小城と、昨日から少し交流を持ち始めた(?)川野しかいない。だとすると、この状況では川野がその状況に当てはまることになる。父親の言葉を再度復唱し、九条の作戦を引き止めるべきか、浅倉は苦い顔をして悩んでいた…。


『A』 完
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